熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

娘が結婚したらしい

娘が昨日入籍を済ませたそうだ。

 

私は血縁との付き合い方が壊滅的に下手だ。

 

私の父が嫡子とうまくいかず、まぁ父は失踪中に外で私を作ってたんだから仕方ないが、死ぬまで嫡子たちと父の関係は改善されず、父は会いたがったが私と同腹の嫡子以外の息子たちには拒絶されて死んでいった。

奥さんと同じ墓に入りたがっていたが管理者となっている嫡子たちに拒否されて、今は私の母と同じ墓に入っている。

父は血縁との付き合いが下手だった。父の婚外子の私も似てる。

 

父と母の墓は私と同腹の嫡子が管理しているが、この嫡子からは母の葬式で私は縁を切られた。

納骨にすら立ち合わせてもらえなかった。

 

その同腹の嫡子と私のゴタゴタで大変な思いをしたのが娘で、母の葬式ができたのは娘の同級生の親たちのおかげだった。

 

ヤングケアラーとかの言葉が今は流れてくるが、娘は思春期から認知症になり24時間目を離せない母の介護を私と交代してやっていた。

高校受験の大事な時期に元夫に新しい女性ができ、私が母の介護で妻の役目をしなかったから悪いとなり離婚。

口約束をしていた養育費はなく、高校生だった娘と息子はバイトをして母と私と自分たちの生活費をつくっていた。

私と元夫は毒親であった。大切な時期に親らしいことをしなかった。

 

娘の相手さんの家も母子家庭だったそうだが、お母様がバリキャリで、両親の離婚の時もきちんと裁判をして不利にならないようでき、在宅介護だったおばあさまのケアを息子にさせなかったそうだ。雲泥の差だ。

私は娘に甘えた。

 

 

私と娘との関係は良いものではなく、悪質な共依存なので、距離を置くそうにカウンセリングでも言われ、今回娘と入籍した人が離すよう頑張ってくれたから感謝しないといけないが、寂しさはある。

一緒に映画に行ったり旅行したり、即売会に参加したり、私には良かったが娘には束縛であった。

 

残念だが私の子たちは親ガチャ外れである。

 

まぁ、それでも縁はあり子が伴侶を得られたのは良かったと思う。

 

戦争で焼け出されて、伊勢湾台風にまた家を失い家族が次々死んでグダグダになった母。

 

失踪中に偽りの結婚をして婚外子を作った父。

 

機能不全家族で育ち、家庭に憧れるものうまくできなかった私。

娘の「普通のお母さんが欲しい」との願いは私にはずっと棘だった。

元夫はクリエイティブな仕事につけなくて落ち込んでいくし、私に「お前は運が良い」と言い続けてたし、私は必死で仕事掛け持ちをしていたけど、それは家庭を犠牲にしたことになった。

 

 

今は機能不全家族の連鎖にならないことを願うしかできない。

 

 

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