熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

娘と猫たち、憧れの江戸川区の葛西に引っ越していった

 

 

娘、憧れの江戸川区は葛西に旅立つ。
娘の猫4匹も一緒に行く。
江戸川区は坂がないので電動じゃない自転車を持って行く。

 

30年以上昔、息子出産時の緊急帝王切開で子宮が癒着とやらで変形してしまった。

娘を授かった時に子宮が破裂する可能性があると、母体を護るために早めに出された娘。

子宮が持つギリギリまで胎内に置き、帝王切開前にも当時は人工的に経験させる呼吸の訓練でもあるという陣痛無しで取り出され途端に肺が潰れた。だから産声は小さく、少し見せて頂いた娘も小さく。


翌日には埼玉県立小児医療センターに搬送され手術を繰り返した。これは凄く運が良いことだった。

産んだのは川口駅前にあった川口市民病院で、出産時にトラブルがあった川口市内の新生児たちが搬入される施設があった。

が、小児科医の目黒先生が娘の異常に気がつき小児医療センターに連絡を入れてくださり、たまたま集中治療室に空きがあり、また当時は珍しかった乳児を治療しながら搬送できる救急車があり、旧岩槻市にあった小児医療センターに無事搬送され手術を受けられた。

目や耳に障害が出るかもしれないと言われていたがありがたいことに無事だ。

娘は1歳まで手術を繰り返した。

 

次は5歳の時に私が落ち込んで寝込んでいるのを心配し、息子と一緒に薬局にユンケルと耳掃除を「お母さんが元気になる薬」だと買いに行き帰りに交通事故に遭った。

足切断に近い酷い怪我をしてやはり手術を繰り返した。

 

弟が結婚して母が弱っていき、娘が母の家に泊まるようになり、そのままボケていく母の見守りから介護もやるようになつた。

 

母が死ぬと見合いが次々と来た。

介護をしていたのを見ていた年配の方たちが息子や甥の嫁にと言ってきた。

1人同じ棟に熱心な母親がいて娘をとても欲しがったので困った。

娘は待ち伏せされるようになり、色々大変だった。

なので娘は少し遠いアパートに引っ越した。他にも理由はあったが。

 

私が原因で破談になった縁談もあった。

 

 

介護鬱と介護ロス鬱になった私は娘に依存していた。

 

苦労をかけた。

 

私の友人たちは娘を可愛がってくれていて、だからこそ娘離れを私にすすめていた。

 

前別居した時は自転車で行ける距離だったが、今回は違う区で電車を乗り継ぐ距離だ。

あと、友人との同居なので娘に会いに行けないし猫たちにも逢えない。

 

寂しくないとは言えない。

 

 

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