熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

江戸東京博物館 #秋水 #B-29 #硬いプリン

熊谷伊助の資料を持って江戸東京博物館へ。
かつて夢希望を持って過去を語り合った史学の若者たちは定年していたり、定年間際になっていたり、介護離職をしていたり。

昔は八百善も江戸東京博物館に入っていてB-29の機長と食事をしたりもしましたが、私の知り合いのB-29関係者は皆故人。
今も展示されているB-29の機関銃は戦後50年の頃に私が調査をしたものだ。

戦後50年の頃、あちこちの都道府県市町村に美術館や博物館ができた。
築30年になると大改修がある。
江戸東京博物館と足立区立郷土博物館もオリンピックが落ち着いたら改修に入り常設展示も見直される。
私の展示物は戦争関係のB-29関係のものや足で調べた空襲地図なので、空襲が風化しているこれからは違う形の展示となり倉庫に行くのかもしれない。

熊谷伊助の直系の方から資料を送って頂いた中に、義父と交流があった熊谷守美さんが秋水の開発部の記録部員に属しており、戦後それらを焼いた人と知り絶句している。
埋めて隠した秋水が三菱によって復元されたニュースを見て書いた手記を娘さんが送ってくださってて、何故御存命の時にお会いできなかったんだろうと。
私はテスト飛行に立ち会った人たちやテストパイロットたちに会っていたけど、その頃に橋本病が出始めていて記憶障害が始まり不義理重ねてしまった苦い思い出もあるけど、復元したB-29が展示されていた会場の所長さんはニフティのF戦前会議室時代からのメル友だったんですよ。


江戸東京博物館で浮世絵を観てから常設展示を観て周り、永井荷風関連展示も観た。
荷風は熊谷登久平と同時期に浅草と銀座にカフェもニアミスをしていたと思われる人なので、思うこと色々。

カフェ三笠で昔ながらの硬いプリンを食べた。
旨し。