熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

夫事故って救急搬送される。義父の作品の多くは行方不明だったり倉庫だったり

相変わらず、義父の熊谷登久平の作品の場所や何処に居たかなどを調べているが良く心折れそうになる。

新宿厚生年金会館に常設展示をされていた、義父の #熊谷登久平 の作品 #眩暈 は厚生年金会館が解体された時に一緒に処分された可能性があり、厚生労働省にどこかに譲ってないかと問い合わせをしたら管轄ではないと言われて愕然とした。

遺族の手元に残るは、新聞記事の切り抜きと絵葉書だけだ。

厚生省関連の施設にはバリベア会の関係もあり絵をかなり寄贈している。
それが厚生労働省となった段階で散ったようだ。
義父が指導していたバリベア会は元々霞ヶ関の絵画の会で、連絡先も厚生省にあったのだが、もう知る人もいない。

悲しかったのは下谷警察署受付の前に飾られていたスフィンクスは建て替えたらまた展示と説明を受けていたのに、新しい下谷警察には展示されていない。倉庫にあるそうだ。
郵政省の美術館にあった絵も今は展示されず市川市にある倉庫だ。
今常設展示をされている美術館は義父が可愛がっていた甥の英三さんが作ってくれた岩手県千厩の熊谷美術館だけになる。

千厩町にもあちこちで展示されていたが、一関市と合併したことで小学校中学校は問い合わせてもわからず、出張所になったかつての町役場も私が去年行くまでは収蔵していることすら知られてなかった。
千厩町が独立した行政だった頃は熊谷本家出身の熊谷登久平と伊助の項目が町のサイトにあったが、今の一関市にはない。




今のところ私への救いは義父が尊敬していた血縁者の熊谷伊助の石碑、勝海舟が伊助が(毒殺と言われている)死んだ時に悲しんで読んだ歌の碑がいつの間にか愛した女への歌碑になっていたのを訂正出来たこと。
証拠をいっぱい集めて、伊助の生家と直系の意思もまとめての交渉だったので結構大変だった。

とか書いていたら近所の奥様が駆け込んでいらして、夫が言問通りの交差点で事故ったと。
夫はバイクで青信号で発進した所に信号無視をした自転車が突っ込んできたので咄嗟に避けて壁にぶつかり、バイクの下敷きになったらしい。
慌てて交差点に行き、着いていた根津の救急車に同乗して日医大に運ばれて、夫は今精密検査中。

無事なら良いです。



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