本当のドイツソーセージを食べさせてあげましょうと、帝国華撃団のシヨウの後で新宿の厚生年金会館の近所のドイツ料理店に連れて行ってくれた同人仲間だった後藤修一さんこと、公安からナチスで登録されていた飯田橋さんが亡くなって一年が過ぎて、やはり同人仲間で右翼な友人の某弟が追悼本を商業出版した。
飯田橋さんと最後にあったのは秋葉原の「古炉奈」の最期の日だったか、娘も一緒だった。
それとも娘と一緒に売り子の手伝いをした時か、なにせ母の介護が始まり私も気が狂い始めた頃なので記憶が曖昧だ。
飯田橋さんは孤独死をされて、相続人もおらず、賃貸物件も自宅も国庫のものとなり、コレクションは有志たちが落札した。
山とあるコレクションの分類は大変であろう。
そちらの同人仲間では最若手の某弟も、既にアラ還だ。
飯田橋さんは美食家で連れて行ってくださる店にはハズレがなかった。
今日、渋谷の東急に成城にあるというドイツソーセージなどの有名店が出店していた。
農大出の友人が経営している農場の豚や鶏を使った燻製品やソーセージを試食させてくれた。
ソーセージを食べたら飯田橋さんを思い出した。
同人仲間で唯一「B-29操縦マニュアル」を献本したのが飯田橋さんで、歌劇団を一緒に観に行った時だ。
常に自分に自信がなくB-29操縦マニュアルも男性の同人仲間に見られたくないのが本音で、でも飯田橋さんはSF系同人仲間の男性陣の中は信じられないほど包容力があり優しい人だったので「読んでくださると嬉しいです」と渡せた。
あのグループのたった三人の女子高生の一人だった私。あのあと次々と女子が入ってきて男性陣がだんだんと色気づいた時も飯田橋さんは人間だった。
その後、ななこまつりでモブであった私に変わらず声をかけてくださった。
それができる男性は少ない。
ミュシャ展で二年ほど声を聞いてない友人を思い出して涙が出て、渋谷駅の東急の地下ではソーセージで飯田橋さんを思い出して涙が出た。
ソーセージはとても美味しくて、買って帰って食べたら号泣しそうだからスモークチキンを買った。
飯田橋さんからチキンを教えてもらったことはない。
あぁ、でも、パセラのハニートーストを教えてくれたのも飯田橋さんだし、ビールの飲み比べを教えてくれたのも飯田橋さんだ。