熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

あの頃

同世代の訃報が届いた。

癌の再発だったそうだ。

連絡をくれた友人と亡くなった人たちのことを話し込む。

連絡をくれた友人は物書きとして成功した方で、メディアミックスもいくつか経験している。他の元同人仲間を含めて私たちの共通項は公立の義務教育時代に浮いたことだった。

友人は可愛らしい外見であるのに義務教育時代に弄りに遭っていたという。ファンジン(ファンマガジン)というあの当時はまだ人口が少なかった同人世界は私たちの秘密の花園であり、義務教育の狭い社会では知ることがない出会いと居場所が見つかるワンダーランドであった。浮いていた人たちはそれぞれの共通項がある人と出会えた。

最初は雑誌や新聞投稿などのハガキの世界から、お茶会というオフ会になり、小規模であったが同人誌即売会を知り、学校では抑圧されていた自己表現が開放されていった。

まだ、オタクという言葉がない時代、全国に点在していた少年少女の接点が大きく広がったアウトなどの読者欄の大きな雑誌は偉大で、それを一気に広げた『宇宙戦艦ヤマト』はすごかったと今でも言える。

葉書や小説、漫画などを商業誌に投稿し続けて、入選しても継続できないとダメだから、寝食削って、でも楽しかったねと今なら言える。

など、長電話になった。

彼女のご主人も今は亡くなり、夢語りあった仲間が少しずつ現世から抜けていく。そういう年齢になること想像もしてなかったよね。

 

 

スマホの中のアルバムを眺めていた。

一番最初のスマホiPhone 6だった、慣れまでは面倒だったが、慣れると便利だ。

あの頃は地域猫もまだいて、みかどパン屋さんも営業していた。

うらの新渡戸さんの奥さんとの雑談も楽しかったなぁ的な感情。

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