熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

夜明け前の地震 菊花の約

4時前に地震があり、私の感覚では長く揺れたし、にゃあちゃんがベッドの下に逃げ込むような気持ち悪い揺れだった。

後で調べると東京都台東区震度1となっている。

揺れても起きない夫が気がついた揺れなのに震度1なのね。体感的にはもっとな……。

その後、なかなか眠れず、阪神淡路大震災で失われた懐かしい風景が走馬灯。

 

高校時代、母校の図書室がとても好きだった。昭和4年の文学全集とか普通に読めて幸せだった。

美術室に並ぶ恩師の戦前からの美術資料と先生との雑談が心に強く残り、おかげで今の婚家で役に立っている。あの図書室も美術室も阪神淡路大震災で失われてしまった。

国会図書館で読めるものもあるけれど、稀覯本の原本は借りられない。

マイクロフィルムからデジタル化したものはピントが合ってないままのものも多くあり、あの昭和モダンな活字の美しさを再現できてない気がする。

残念だ。

 

 

今日は漫画家の吾妻ひでお先生の命日。

昨日一緒に谷根千界隈を散策した友人は吾妻ひでおのファンクラブ仲間でもあったので、菊酒で先生を偲んだ。

雨月物語の「菊花の約」は私たちが育った明石の隣の播磨国加古( 兵庫県加古郡稲美町)の物語だよねとか、菊酒飲みながら話したり。

 

 

半世紀前、宇宙戦艦ヤマトと、ぱふと、月刊アウトと、JUNEと、大阪の大友出版と、マンガ少年と、「吾妻ひでお」と「吾妻ひでおFCしっぽがない」が思春期にぎゅっとあったので、今の私がいるとほろ酔いになりながらしみじみした。

24年組ささやななえさんと飲み友達になったのもあの頃があったからだ。彼女も今年亡くなった。

 

世界は狭く、ある日JUNEの編集部に行ったら編集長の佐川さんが彼の友人の1人でもある吾妻ひでおの個展を(佐川さんたちが)企画して開催してるから行こうと。

手伝った人の中に、吾妻ひでおファンクラブでご一緒だった後藤修一もいた。私たちには飯田橋さん、ミリタリ仲間としてはオデッサさん。

その飯田橋さんも亡くなり、あの青春時代の仲間が次々とあちらにいってしまう。

知り合った当時は15歳と13歳だった私たちは還暦を迎えた。

同じ時期に知り合った明智抄も亡くなり、置いて行かれた気持ちが強い。年金関係の情報を目にすると国民年金があまりうるさくなかつた時代に彼女から「年金は払っておきなさい」と言われて何かあった時に障害年金を受けることもできるよと教えてくれた。

その彼女が60歳で急死したこと、今だに納得できない。

 

 

 

ふと、昔、森田公一とトップギャランの「青春時代」という歌が流行ったなと思い出し、歌詞を読み返すと大学卒業前が青春時代の真ん中なのかな、的な。

とか色んな思い出がぐるぐるしてる。

さみしや。

 


 

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