絹谷幸二先生の訃報が流れた。
我が家には義父とは白日会・独立美術協会・近隣の画家の集まりなどで縁が深い島村三七雄画伯が連れてきたそうな。
それからは我が家に林武画伯や独立美術協会の会員たちが集うときに同席してたとか。
斜向かいの浄延院さんが火事になった時には一升瓶を抱えて「先生大丈夫ですか」と駆けつけてきたとか。
絹谷先生が学生時代に上野桜木にお住まいの頃の思い出話しだ。
義父の葬儀の時は色々手伝ってくださったそうな。
夫から葬儀のエピソードも聞いてはいたが義父の生誕120周年展を一関市千厩で開催していただけた時に義父の血縁の方が葬儀の時の絹谷先生が気がきく人だったと話してくださった。
独立展で絹谷先生にその話もしたら我が家が銅ぶき屋根の竹屋敷時代の思い出も話してくださった。
また義父の友人で独立美術協会の宮崎精一(谷中在住時代あり)画伯が経営していた熊本県人吉市の温泉旅館の古城には独立美術関係者が多く訪れたが大学生の絹谷幸二も泊まった1人でもある。
なんせ独立美術協会の戦前からのメンバーに絹谷先生は可愛がられていたというのは夫の思い出。
そういえば藝大先時代の上野桜木の下宿に遊びに行った我が家の近所の女子高生と短大生の姉妹、その1人も数年前亡くなり。
そして絹谷先生が人気が出てからの額縁は上野桜木の佛雲堂が担当している。
知人が若い頃の作品を一点持っており鈴木千久馬と望月春江の孫で私と同じ画学校の隣のクラスに通っていた人が経営する池之端画廊で展示をする許可を絹谷先生にお願いしたところ鈴木千久馬の話しに流れたことがある。
交友関係あったんだなぁと。
うちのアパートに住んでいた油絵の美學生が熊谷登久平の遺族が経営している賃貸に住んでいると絹谷先生に話したら、学内の部屋に入れてくださり義母や遺族たちの今をたずねたときいた。
そして私が絹谷幸二先生と私が直に話したのは2回ほど。
(電話もあるか)
ご冥福をお祈りいたします。
https://news.livedoor.com/article/detail/29289066/

『ぐだぐだ』
私は生まれた時に出産届けが出されなかったので無国籍者として育ち、戸籍ができたのは6歳の時。
その時のゴタゴタは覚えているし、結婚も就職もできないと言われながら育ったので生まれへのコンプレックスがある。
父が亡くなった時に、父は墓石を建立した初婚相手の奥さんと一緒の墓にとの希望だったが父の生家を継いでいた嫡子さんが不誠実でできた私の存在を理由にして拒否をしたので河原家の墓に入れられなかった。
父の死から数年後母と墓を買い納骨をしたが、私は婚外子なので納骨は母と父の嫡子である弟と母がやり、私は立ち会えなかった。
母の納骨も同じ理由で立ち会えなかった。母方は名古屋の旧家だったのでその辺はうるさい。
など色々あったので恥ずかしい生まれの私は直葬で散骨で良いと昔から話してきた。
息子はそれを嫌がり、娘はそれで良いと言っている。
息子は婿養子となり、娘は嫁入りしたのでもう私の葬儀にあれこれ言うことはない。
で、私再婚してから二回危篤状態があったので、一回目のあとで「もし死んだら直葬で」とお願いしてきた。
熊谷家の穀潰しと面と向かって言われたこともある。
夫が私と結婚しようとした時に酔った勢いでシロアリと言った人もいる。その人は夫が出禁にしたが成田空港を使う時にタダで使える駐車スペースがなくなったのは惜しかろう。
まぁ、私と結婚してから2000万以上アパートと家(母屋は居間に穴が開いていたりした)の修繕費に消えたし、緊急入院したら個室だったこともあるし。夫の資産を把握していた関係者が怒るのも無理ないかと。
だから私は死んでからも熊谷家の金を使うとか言われるのは嫌だ。
で、何をぐだぐだしてるのかは、区民葬の直葬で安く済む。
区民葬はあれこれを削れば火葬だけで済むとかは問い合わせて確認済みだったので夫たちにも資料を渡していた。最低限にすれば文句も少なかろう。
ところが23区の火葬場の多くを経営する七割が中国資本の東京博善が来年度区民葬から撤退するそうで。
今まで区民葬のサービスでの火葬は5万9600円だったが来年度から火葬代金が8万7000円になる。
棺桶はAmazonで安いの買うか、シートにくるんで軽トラの荷台に載せて運べばいいと話していたけど、火葬代金3万弱値上がりかぁ。
熊谷家の穀潰し嫁には勿体無い話だわ。
ちょっと悲しい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/58d9c9f6df7aa42db312dcaa8b391bec1c6e3037
https://www.sankei.com/article/20241223-6OKOKK424JP7DDQS6TRJTFYT2Q/



