熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

ターコイズブルーの布施悌次郎

 

トラジマのミーメが脱走し、捕まえたらめちゃくちゃ噛まれた。

 

池之端画廊の展示会にむけ色々やっている。

 

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『 布施悌次郎 明治34(1901)年10月1日宮城県仙台市に生まれ、大正14年仙台東亜学院専門部英文学部を卒業、上京後翌年太平洋画会研究所へ通う。太平洋画会展へ出品を続け、昭和3年太平洋画会賞を受け会員に推挙され、同6年には太平洋画会委員となった。戦後の同32年、太平洋画会が太平洋美術会と改称され同会委員、翌年から太平洋美術学校教授をつとめる。のち、太平洋美術会会長。1992年7月14日没』

https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/10435.html

 

戦前、熊谷登久平は東北の新聞社が後援した中央画壇の先生が指導にきますよ的なのに、宮城県出身の 布施信太郎、悌次郎兄弟らとまわっていたそうな。それはまだ新聞記事の断片でしか把握していないが、夫の断片記憶な布施さんとはどちらだろう。

弟の布施悌次郎の戦前初期の作品に萬鐵五郎の影響もあると思えるものがあり、購入したのだが、何故か行方不明。

兄の信太郎の作品は新宿中村屋のギャラリーで結構見られるが、悌次郎作品はなかなか見られない……

それでも市場に出るものがあり悌次郎の戦後の作品の力強い感じのに心惹かれて何作か入手した。

そのうちの一作は去年の池之端画廊で展示をし、それを見た悌次郎が会長をやっていた団体の人に気に入られ、今度記念展示会にお貸しする口約束にはなっている。

戦後の一時期に好んで使ったと思われるターコイズブルーの使い方が私的には好みのもので、なので私が持っているのはターコイズブルー多め。

 

 

 

 

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