熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

登久平の戦後の短歌 初出不明 木俣修・窪田章一郎・佐藤佐太郎編 類別現代短歌全集 の登久平

夫とロシアへのドローンでの攻撃ニュースを見ていて白系ロシア人の話題になった。

白衛軍、白軍、日本で有名なのは満州国軍が亡命ロシア人などを組織した浅野部隊。
その人たちはどうなったのだろう的な雑談。

スターリンが赦すと言ったのを信じてソビエト連邦となった母国に帰った反ロシア革命の人たちとか。

 

 

新宿の交差点で電動アシスト自転車のバッテリーが爆発したというニュース。

メーカーはどこだと夫騒めく。

うちが売るのはパナソニックだけだけど、他社製品の修理も受けるからリコール情報は欲しい。

他社製品で受ける修理は整備とパンクぐらいだけどね。

 

 

 

1962年に文芸新聞社から出版された『類別現代短歌全集 木俣修・窪田章一郎・佐藤佐太郎編』

 

 

いづれ死ぬる吾と思ひつつながめゐつ

幾千とならぶ春の墓石を
熊谷登久平

 

ゐ、ヰ(ウィ)

 

 

いづれ死ぬる吾 と 思ひつつながめゐつ

幾千とならぶ春の墓石を

 

この歌がいつ書かれたのか、初出はどこかは調べあぐねている。多分早稲田大学の資料のどこかにある。と思う。

 

昭和34年1959年5月17日57歳の登久平は次男の寿郎を授かる。当時の男性の平均寿命は内閣府の資料によると65.21歳。

https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2005/17webhonpen/html/h3040800.html

登久平はこの子と長く共に過ごせないだろうと次男を甘やかす宣言をし、砂糖息子と呼んだ。

そして元々あった童話的表現が強まる。

物心つかぬ幼子にもわかるよう意識したと伝わる。

 

『類別現代短歌全集 木俣修・窪田章一郎・佐藤佐太郎編』
に収録されている、登久平の短歌は3作。

 

ひかへめに胸に十字はきりにけり
馬鈴薯の花畑に真白し

ひと日こもりて出品作をいそぎたり
雁来紅のうへの白雲

 

いづれ死ぬる吾と思ひつつながめゐ(うぃ)つ

幾千とならぶ春の墓石を

 

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