熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

メモ 海蝕洞(かいしょくどう) 雑誌『中央美術』昭和10・6 

昨日、熊谷登久平概略に独立美術協会二十四人や短歌同人の「まひる野」などを加筆しました。

また、私のブログの情報で遺品の写真に写っている人が判明したとの言葉を頂き嬉しかったです。

 

熊谷徳兵衛の名がある中央大学学員名簿、昭和11年から肩書きに洋画家がついたのを確認。

f:id:TokuheiKumagai:20230529220342j:image
f:id:TokuheiKumagai:20230529220336j:image

登久平の初期代表作品『千厩警察署』の裏書は熊谷徳兵衛かな的な。国会図書館芸術新潮45 1994 3を確認しないと。
f:id:TokuheiKumagai:20230529220339j:image

f:id:TokuheiKumagai:20230529220739j:image

 

 

ヤフオクの美術雑誌の中に気になる海蝕洞(かいしょくどう)の絵があって、もしかしたら義父が描いたのと同じ場所かなと。

題名が知りたい。

雑誌『中央美術』昭和10・6 

 

調べてみたけど国会図書館のデジタルコレクションには入ってない。

 

f:id:TokuheiKumagai:20230528205256j:image
f:id:TokuheiKumagai:20230528205258j:image

 

(5月30日追記 落札した書籍が届いた。この絵はモネのエトルタの断崖であった。義父は気仙沼の内ノ脇にベニスを想い、三陸の切り立った崖にエトルタの断崖を重ねたのだろうか)

f:id:TokuheiKumagai:20230531141805j:image

https://bijutsufan.com/impressionism/paintings-monet-etretat/)

 

 

 

昭和5年の義父の作品。

この時期、登久平は気仙沼などをまわっていた。

これは三陸地方の海蝕洞かも知れないと思いながら、100年近くも前の地形。

風化だけでなく震災、津波などで形が今とは異なるだろう。

 

それでも私は義父の熊谷登久平がどこの海蝕洞(かいしょくどう)を描いたの知りたい。
f:id:TokuheiKumagai:20230528210957j:image

 

f:id:TokuheiKumagai:20230528205905j:image

 

f:id:TokuheiKumagai:20230529153514j:image
f:id:TokuheiKumagai:20230529153511j:image
f:id:TokuheiKumagai:20230529153517j:image