熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

頑張ったつもりでも

一生懸命やったつもりでも、自慢だとか自己顕示欲の塊だとか立場をわきまえてないとか、その程度しかできないのにとか、世の中舐めてるとか。

長谷川利行のスケッチブックは1928年のものなので劣化しやすくて、何人かの人が直接触れた時に破損もあったぐらい古いものだからそれを展示環境の整ってない場でバラして展示する勇気は私にはないです。

多くの人に観てもらいたいのは、その時代が確かにあったし、長谷川利行の研究の空白となっているピーススケッチブックだからです。

というと学芸員でもないくせにと余計怒られるけど、夫には義父の遺品であり、義父には長谷川利行の遺品なのです。差し上げられません。勘弁してください。

 

長谷川利行の作品をお持ちの方は他にもいらっしゃいますが、その人も人から散々偽物だろうと言われたので嫌になり仕舞い込んだとおっしゃってました。

 

その人からしたらお父さまたちが長谷川利行と交流があったから長谷川利行の作品が手元にあり、大切な思い出です。

 

父の遺品のスケッチブックは某国立美術館学芸員さんから価値がないと言われたものではあります。

また台東区をはじめとする長谷川利行ゆかりの数カ所の区が寄贈を断ったものです。

 

ですが、谷中の熊谷家では熊谷登久平の宝物であり、登久平の青春の思い出の欠片です。

バラして一枚ぐらいくれてもというものではないし、遺族的にはできません。

どんなに説明しても言葉は通じませんが。

 

今日もスマホの電源は切り、これから眠剤で眠ります。

心臓が本当に変なので、と言っても検査をしても微脈なだけと弁膜症ですが、痛いのは痛いし、背中まで痛むので、寝ます。

夫の心臓の方が悪いので働いている夫に対しても申し訳ないですが、痛い時は痛いのです。

いっそ心臓が止まれば人間関係がスッキリするし、夫の相続人がいう夫の死後は私も含めて断捨離も面倒なくて良いと思う。

義父の絵の受け入れ先を探していた時にコロナ禍となり何もかも白紙となり。

義父の同級生の矢野文夫氏の作品は岩手県立美術館に何作も収まり、生誕120年の年にまとまって展示されたと知り、恥ずかしいけど嫉妬しました。

それは私の卑しさですが、空回りの虚しさもあります。

 

 

あと、どう説明しても納得してもらえないし、嫁ぎ先のものを私物化していると思われてるのもしんどいのです。

つか怒鳴らんでも。

 

私が何をふざけたのか具体的に教えて欲しかった。

 

 

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いまいちの谷中のヒマラヤ杉。

怒鳴り電話が怖くて現役のiPhone12はスイッチを入れておらず、ヒビの入ったiPhone7で撮影した谷中のヒマラヤ杉。

 

一方的に怒鳴られるのは怖いのです。ほんとうに自分が何をしでかしたのか理解できないのです。説明すればさらに怒る。なので余計に怖いのです。