18で上京して住み込んだのが足立区竹ノ塚の朝日新聞竹ノ塚店で、私の配達区域は竹ノ塚駅前の公団で全部で14棟、エレベーターのない棟の最上階は他の新聞社が勧誘に行かないからほぼお客さんだった。
ヘロヘロになりながら仕事をしてると、たまに竹ノ塚駅前商店街のキッチンホトリの奥さんが冷たいコーヒーを飲ませてくれた。
名物のカレーライスを食べさせてくれることもあった。ホトリのカレーライスは美味しかった。
今月の友人の急死で体調が悪くなった私はあまり眠れなくなり、竹ノ塚の病院に精神安定剤と入眠剤をもらいに行った。
工事中の竹ノ塚駅を降りてホトリを見たらシャッターが閉まっていた看板もない。
駅右手のパチンコ屋さんも見た。
その最上階にあった居心地の良かったネットカフェの看板が消えていた。
一階にあったミニストップが撤退したのは知っていたが、ネカフェはショックだった。
このネカフェの窓際にはマッサージチェアーがあり、そこからは私が住んで、母も住んでいた団地が遠くに見える。
母の部屋は8階の角部屋だったのでネカフェの窓から見えた。
たまに心寂しい時にネカフェのフリードリンクと好きな漫画を読みつつ、かつて私の実家であった母の部屋を見ていた。
もうあの私の特等席はない。
そのネカフェの入っていたビルの隣は飲み屋が入っている。
満室だったのに今は空き部屋がある。
商店街にあったパチンコ屋も閉店していた。
やはり新聞配達をしていた頃のお客さんだった八百屋さんにホトリのことを聞いた。コロナ禍のせいらしい。
この団地の商店街には八百屋さんと住吉というコロッケが美味しいお肉屋さんと魚屋さんがあった、お肉屋さんは随分前に閉店し、魚屋さんは去年閉店した。クリーニング屋さんも閉店していた。
八百屋さんが「俺が最長老になっちゃったよ」と苦笑いをした。
「40年前は小学生のお子さんがいる壮年だったのにね」と私も笑った。
あの頃は団地の公園には子どもがたくさんいた。
竹ノ塚の高収入層向けの公団の団地にはインテリが多く住み、お医者さん大学教授、新聞記者、校長先生、デザイナー、編集さんなど、子どもたちは大いに遊びつつバイオリンとかを習っていた。
集金に行くと要らなくなった色んなジャンルの本をもらえるのも嬉しかった。
今は夜の風俗街のように書かれる竹ノ塚だけど、本屋さんが複数あり古本屋もあり図書館があり、美術館まで電車で一本、学区の14中は足立区の学習院と言われていて文武に優れオリンピック選手も出ていた。千葉や埼玉から越境してくる生徒も多かった。
商店街もあり、スーパーも東急、イトーヨーカドー、松坂屋、東武があった。
私には暮らしやすい街だった。
今日は寂れを感じ寂しかった。
竹ノ塚にいる時に夫の調子が悪いと連絡があった。熱中症のようだった。
慌てて帰宅しようとして私も体調が悪くなり、北千住のマルイのフードコートのケンタでレモンジュースを飲んだ。
私も少し熱中症になっていたようで、普段なら甘いものは飲まないがとても美味しく感じた。
私も体調が悪いんだと判断して北千住かタクシーで帰宅。
夫寝込んでいた。