熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

竹ノ塚

5月は色々重なりたまに発作的に泣くことがまた起きるようになって、自分を持て余した。

3月から激痛が続いていたのも一因かとは思うが、不安定で夫にも心配をかけた。

精神安定剤の手持がなくなり竹ノ塚の心療内科に出かけた。

夫が最寄駅まで送ってくれ、地元の好きなもの食べておいでと言ってくれた。

 

心療内科後、ママ友と竹ノ塚で待ち合わせてランチ。

足立区竹ノ塚は私が上京後に住んだ町で、足立区で結婚をした時に学生時代に住んでいた竹ノ塚五丁目を本籍地にした。

そこからは図書館が見えて、図書館に隣接した施設にはプラネタリウムもあった。

徒歩圏内に新刊本屋が数店あり古本屋もあり、商店街に東武ストア松坂屋ストアイトーヨーカドー、東急ストアがあった。

それまで住んでいた明石市の魚住の田舎とは利便性が全然違う。

新聞配達先で知り合った人たちには国立大学教授、大手出版社の編集、新聞社の人、お医者さん、旧制女子大関係者、外洋航海をする帆船の船長さんもいて、いらなくなったと本をくださったり、海外土産も定番ではなくて。

これが東京かぁと驚いたよ。

 

 

竹ノ塚には田んぼも畑も残っていたし、都会ではなかったけど便利だったよ仕事はしんどかったけど、図書館5分もしない距離の幸せとかママ友に話した。

ママ友は東京で生まれ育ち、政治家でもあった先祖の銅像が23区内の公園にある人なので、私が育った所の親が大卒だと威張る田舎の環境があまり理解できてない。

彼女の父親は兵役免除された理系の人であったけど、彼女は自慢しない。旧制大卒が珍しくない環境で育ったから。

 

育ちが違うけど親友。

育児時代、介護時代、随分と助けてくれた。

上京して彼女に出会えたのは運が良かったと思う。

 

激痛は尿管にあった一番大きな結石が鮮血な血尿が出た時に一緒に排出されたのか、治っている。

断片的な痛みがあるが、それは多分小さいやつなのでガンガン水分を摂って排出を待つ状態。

痛いけど、3ヶ月以上苦しんだギックリ腰連発痛みたいなのはないので自転車も乗れるようになった。

でもたまに自転車は無理な痛みの時もある。

 

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