熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷登久平と熊谷伊助の生家の日野屋

かつて岩手県の長者番付一番だったという話もある岩手県の千厩の日野屋。
夫の従兄さんの話では昔は雑誌の主婦之友に全国の長者番付が載り日野屋の当主の名が連続一位の時代があったそうだ。
バックナンバー調べないとなと思いながら、いつって気分でもある。また絨毯爆撃的に図書館で調べるのだろうか私の。
長者番付一位は夫も覚えているので戦後の30年代以降だろうか。
義兄が生まれた時にお祖父様が喜んで象を買ってやると本気で言っておられたそうだし。

てか近江商人の流れの日野屋になぜ熊谷一族がなったのだろう。
資料は滋賀大学にあるそうだけど、コロナ禍で調べに行けない。

近所の方と雑談をしてて、山口百恵さんが谷中に住んでいた頃のことを聞いた。
彼女は学生時代に谷中の履物屋さんに下宿をしていて、それは履物屋さんの娘さんが芸能プロダクションに勤めていたからだそうだ。
百恵さんは最初の頃は初音町にあった銭湯に通っていたそうだが、テレビに出るようになると色々あり、履物屋さんはベランダにお風呂をつくったとか。
今はもう履物屋さんは転居して、その土地を話してくれた人が買い、建て替えたとか。

他の女性の話し、山口百恵さんではないが女性の家には幕末のパリ万博の時の資料や、徳川慶喜公の生写真、領地?に学校を作った時の資料も残っていた。それを然るべき場所にと奔走されたけど台東区は博物館がないから他県の博物館や谷中小学校に寄付したとのこと。
まだ慶喜公の生写真とか残っているそうなので、今度見せていただけることになった。

谷中という土地は寺町であり、幕臣の屋敷があった場所でもあるから、元大名家で理研の大河内子爵のお孫さんや、えらい人の直系がふらりと歩いておられる。
台東区、なんで聞き書きしないのだろう。
オーラルヒストリーは面白いのに。






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