熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

ホッとする。

https://fujimizaka.wordpress.com/2013/08/21/hasegawa_toshiyuki_1_first/

こちらの池本さんには物凄くお世話になりましたし助かりました。池本さんが長谷川利行関係者に積み上げていた信用をお借りして、熊谷登久平が大切にしていた宝物が本物と認められた。


ある時期から問い合わされても、出さなくしていた長谷川利行のスケッチブック、無事に私の古巣の足立区立郷土博物館預かりとなった。
古巣に美学を専攻した若い学芸員がいるのは助かる。
私の上司だった学芸員が定年まで数年、その先の正規職員がいるのはありがたい。
学芸員が定年退職をしたら研究が途絶えるのは残念ながらあるので若い人が手をつけてくれたのは良い。
慣例的に合同研究になるとベテランが筆頭になるが、若い彼が少し欲をもってくれたら良いなと私は思っている。
研究が評価されたら予算もつきやすい。
今は学芸員の良い雇用が減っている。予算がついて彼が研究できるようになると良いなと願う。
今は学芸員が昔私のような非常勤調査員がやっていたような広域の仕事までやっていて、変だと思う。悪い言葉だけど、専門馬鹿に大学教授ですらなれない時代って変だと思う。

長谷川利行のスケッチブック、熊谷登久平の家から出たのなら本物だと画廊さんからも話を頂いたけど、個人蔵にするものではなく、公共のものとして公開されるべきだと思ってる。
登久平が青春の思い出として大切にしまっていたものだし、私は夫から渡された時に感動した。
その感動を誰かと共有したいし分け合いたいと思った。
台東区で寄付を受け付けないと言われてから長谷川利行を扱っている美術関係のゆかりの場所などに随分とメールをしたり、折り返しての電話を待ち続けたり。
平成が終わるとなってから焦って、このブログ立ち上げた。

色々あって長谷川利行のスケッチブック単体だけ欲しがるところも出てきたけど、私は熊谷登久平が大切に持っていたことも記録として残してくれることなどもお願いできるところを探した。
美術史の1ページに谷中を含む上野の山周辺にあったモンパルナスの記録を学術として国会図書館におさめてくれる人がいるところ。

とかもたもたしているうちにスケッチブックがいたんだので美術史の研究職がいる古巣へ。
ただ足立区なので長谷川利行の北千住の絵が何処かにあるけど、ガシっとやるのは難しい。
でも私が調べて収集したものも常設展示されているし、私の名もついでに展示されているから熊谷登久平の息子の嫁という力技でとか、うん難しい。
難しいけど足立区立郷土博物館の収蔵庫は戦争と洪水を経験した古庄区長の肝いりだから、見た目とか税金の無駄とか色々言われたけど、土建には本当に強い方だったので安心感がある。
洪水になったら逃げ場がない足立区だから自然堤防や盛り土をいかして建てていたし、税金の無駄とか言われているけど。

いつかは台東区で浅草や上野の山で青春していた長谷川利行と仲間たちって感じで展示される日がきたら良いな。
私、十代の頃、先生から上野の山の画学生たちの話を聞いて憧れていたのよ。
先生の資料も阪神淡路大震災で消えたけど。
。゚(゚´Д`゚)゚。


台東区には溢れるほどの史料がある。
文明開化や江戸や幕末維新に戊辰戦争上野戦争とか明治のインフラ整備に都市計画や洪水の記録に治水計画から万博も日本初の地下鉄にモノレール、落語発祥やら日本美術院とか東大の元に柔道の元祖とか。
本当に教科書の歴史がゴロンゴロンしていている台東区
それらの資料研究で手一杯なのだと思いたい。