先日、熊谷登久平でサーチをかけて北海道画廊さんで『赤い帽子の女』が売られているのを見た時、登久平の妹さんだと気がつけて良かったと夫に話したら、夫は「年齢を重ねた民子おばさんとしか会ったことがなくて、明子さんに岩手の本家に行ってもらってて良かった」と言ってくれた。
岩手県一関市千厩の本家に残っている明治時代からの家族のアルバムには美男美女が沢山いて、もちろん義父も美男だけど、弟さんも美形で、義父の作品を調べている時に弟さんの肖像画を見つけた時も、本家で弟さんの写真を沢山見せて頂いていたからわかった。
かなり汚れた状態で出てきたけど、池之端画廊さんに油絵の汚れのとり方を教えていただき綺麗にしたら美男が光った。
短髪は軍人だったからだろう。
鼻が高く、長いまつ毛の美男。
本家でアルバムを見せてもらってなければ、本家の娘さんにお返し出来なかったので、私、美形好きで写メとってて良かったと思う。
夫はこの絵のモデルは誰だろうと思っていたそうだ。
夫が覚えてる本家の叔父様は還暦過ぎてますものね。
岩手県で義父の生誕120周年展をやれたらやりたい、何か記録に残せたらと、本家と一関の義父の従兄弟宅に甘えて岩手に通った。
一族への顔合わせをする機会と考えていた(義父が養子に欲しがるほど可愛がっていたという)英三さんの法事がコロナ禍で中止となり、岩手県立美術館への働きかけや、他の公立美術館への話しもコロナ禍で予算の問題で厳しくなり。
岩手県へ里帰りをしていない義父の作品を展示するのは本当に難しくなった。
タイミングが合わなかったと言っていいのか。
私は付け焼き刃で要領が悪いと落ち込むことも多いけど、今年も熊谷登久平が池之端画廊さんで展示して頂けることになり、来年は他の公立会場で展示していただける話になっていて、再来年までは展示の予定がある。
今までも板橋の区立美術館、青梅美術館に展示されたことはあるけれど、どちらも当時の担当の学芸員さんはもうおらず、夫の記憶では30年ほど東京の美術館では展示されなかったらしい。
新宿の厚生年金会館にあった戦前の代表作品も今は行方不明だ。
窓口だった義母は亡くなって、親戚関係を担当していた跡取りの義兄も早世し、気楽な次男である夫の断片的な記憶を資料室や図書館にこもって裏付けとって、とかもコロナ禍で中断して。
でも自分は「語れる教養がないけど好きだ」だけで右往左往するのも全くの無駄ではないと昨日、上野広小路の地下道で偶然お会いできた画壇の先生に、少し手伝った本のことをお褒め頂いて、義父ことも褒めて頂けて結構嬉しかった。
昨日は楽しい1日だったので沢山文章が沸いていたけど、最後に頂いたお褒めの言葉で感無量な締めくくりになった。
褒められることがあまりなく育ったので、褒められると驚くし嬉しい。