私は空襲被害を調べて収入を得ていたので、思うことは沢山ある。
東京都慰霊堂の関東大震災の絵が修復されて蘇っていると聞き、訪ねた。
飛行機と伝書鳩の絵が綺麗になっていた。
熊谷登久平と長谷川利行らも関東大震災を経験し復興していく東京を描き残している。
その中で登久平が描いていた大川(隅田川)の橋はどの橋だろうか、多分永代橋だろうと推測しつつ、不安もあり復興計画時や復興後の資料も確認したく訪問した。
登久平は浜町辺りで被災した説と、川端画学校にいたから本人は無事だったが家財が焼けた話などがある。
通っていた錦町の中央大学が図書館をのぞいて消失したのは確かだが、2年後に卒業をしている。その間どこで学んだのだろうと、中央大学は駿河台に移転をする。
登久平は描き方の違うニコライ聖堂を3点描き残していたが、大学に通いながら復興に向かう聖堂も観ていたのだろうか。青梅市の美術館にある登久平のニコライ聖堂は独立美術協会第1回に出したものだが、しばらく仮として作られた聖堂も描いてある。
中でイコンを描いていた女性は知り合いだったのだろうかとか、私は色々考えてしまい、余計に混乱していく。