熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

東京都慰霊堂にて

私は空襲被害を調べて収入を得ていたので、思うことは沢山ある。

東京都慰霊堂関東大震災の絵が修復されて蘇っていると聞き、訪ねた。
飛行機と伝書鳩の絵が綺麗になっていた。

熊谷登久平と長谷川利行らも関東大震災を経験し復興していく東京を描き残している。

その中で登久平が描いていた大川(隅田川)の橋はどの橋だろうか、多分永代橋だろうと推測しつつ、不安もあり復興計画時や復興後の資料も確認したく訪問した。


登久平は浜町辺りで被災した説と、川端画学校にいたから本人は無事だったが家財が焼けた話などがある。
通っていた錦町の中央大学が図書館をのぞいて消失したのは確かだが、2年後に卒業をしている。その間どこで学んだのだろうと、中央大学駿河台に移転をする。
登久平は描き方の違うニコライ聖堂を3点描き残していたが、大学に通いながら復興に向かう聖堂も観ていたのだろうか。青梅市の美術館にある登久平のニコライ聖堂は独立美術協会第1回に出したものだが、しばらく仮として作られた聖堂も描いてある。
中でイコンを描いていた女性は知り合いだったのだろうかとか、私は色々考えてしまい、余計に混乱していく。


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輝け原石! 独立春季新人選抜展2020 と、戦前に熊谷登久平が乱闘をしたらしい韻松亭にてランチ

http://www.dokuritsuten.com/shinjin/2020/winner.html

かつて、いや今も独立美術協会の会員になるのは大変。
我がイケメンな義父の熊谷登久平は独立美術協会の前身の1930年協会時代から出品を続けて、独立美術協会第1回からもずっと入選していたが、賞をとろうがなんだろうが中々会員になれない。
二科展に2回も展示され、白日会でも賞をもらい会員になっている。
が、独立美術協会の里見勝蔵派と福沢一郎派、つまり野獣派と前衛派の派閥争い的な空気の中で、里見勝蔵派の熊谷登久平は中々会員になれず、反里見派からの襲撃から里見先生を護衛したりな日々を送る。

独立美術協会と白日会に作品を出す、紀元二千六百年奉祝美術展にも絵が並ぶ洋画家になっていたのに独立美術協会の会員になれない。

ので鬱憤が溜まっていたのか上野公園の老舗料亭の韻松亭で宴を開いていた独立美術協会幹部たちのところに乱入し、畳に包丁を突き立てたとか、乱取りしたとかな伝説を先日の熊谷登久平展で聞き、私は唖然とした。

韻松亭って、あの上野公園の老舗料亭の韻松亭

https://www.innsyoutei.jp/

上野山下の老舗蕎麦屋の2階で反里見派が集まっていたところに殴り込みをかけた話は読んだことがあるけど、韻松亭
で、熊谷登久平展に来てくださった独立美術協会会員の村田英子先生と互いの予定をすり合わせて韻松亭を予約して今日昼食。

http://www.dokuritsuten.com/member/6m3_murata/index.html

2階の座席に案内され、床の間の前という上座で食事、美し美味し。
ここで乱闘したんだ。
窓から脱出した人もいたそうだけど、大丈夫だったんだろうか、ここ2階だし。
とかで村田先生とあちこち現場検証。
まぁ、この経路なら無事逃げられますよね。

こんな素敵な座敷で乱取りしたのねオトーサン。
よく会員になれましたねオトーサン。
黒帯二段なので華麗に投げるオトーサン。
怪我はさせないで投げれるオトーサン。

などを村田先生と話していたらフワリと不思議な色が過去の独立美術協会員が脱出したであろう窓から入ってきて、少し村田先生に留まり、不忍の池方面に抜けていった。少しオカルト。
思わず目で追ってしまい村田先生に気づかれて聞かれて話した。
もしかしたら独立美術協会の物故会員たちが、花見にきてたのかもねと。
義父も含めて韻松亭で飲めや歌えやをしていたメンバーが村田先生の頭を撫でていったのかしら。

不思議な色でした。
彩雲を少し薄くしたような雰囲気が目の前をフワリと。

不思議な縁というか、熊谷登久平展後半は緊急事態宣言が終わっていることを期待して独立美術協会の方には連絡するのを抑えていた。
でも緊急事態宣言は延期になり、熊谷登久平展に独立美術協会の方にお越しくださいと言いにくい状態が続き、でも観て頂きたいと思い詰めて会員名簿の日帰り可能な地域の「あ」から順番に電話をかけた。
でも中々繋がらなくて、「ふ」で繋がるもの骨折しておられ、(義父の思い出はお聞きできた。感謝です。)「む」でご家族が電話に出てくださり、なんと隣の駅近にお住まいの村田先生に繋がった。
で、彼女が熊谷登久平展に来てくださったことで、独立美術協会の会員が次々と来てくださり、土砂降りの雷が鳴っている日には登久平たちが作った独立十人の会の登久平が抜けた後に属されていた先生が来てくださり、エピソードを聞けた。
それが料亭乱闘事件で顔面蒼白にはなりましたけど、嬉しかった。

有線の電話線で繋がったご縁に感謝ですよ。

不思議な彩雲は義父たち独立美術協会の物故会員たちだったのかもと感じています。

それと村田英子先生は少女漫画家のあしべゆうほ先生の「デイモスの花嫁」が文庫本になった時の表紙を描いた方だったと知り、あしべゆうほ先生と昔付き合いがあった私はびっくりでした世の中狭い。

デイモスの花嫁談義している2人の乙女に桜吹雪な料亭での食事って素敵じゃないですか。
予約が取れていた日が満開の桜に囲まれ桜吹雪が吹き込む席って、熊谷登久平さんから私への素敵な御褒美な嬉しさでした。

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雨なので昨日撮影した写真を並べる。

戦前の映画、愛染かつらの舞台となった寺にある枝垂れ桜が今年も美しい。

同じ町会の金領寺さんの大島桜も美しい。ここには猫と犬の墓もあるが、共に明治時代。許可した当時の御住職凄いと思っている。
飼い主の家は絶えておらず墓は綺麗な状態だ。
ここは格が高い寺で幕末の有名な代官の墓もあったが、今は無縁仏としてまとめられた一角にある。
金領寺さん大島桜は白いので伏見の薄墨桜のようだ。

昨日は足立区に用があり、日暮里駅に向かおうとして人の波。
鶯谷駅方面は車道が大渋滞で歩道が観光客だらけ。
上野駅方面、お察しください。

根津駅から千代田線への導線があった。路地裏万歳。

北千住で乗り換えて、竹ノ塚に向かう。
北千住駅には奥の細道の看板とエヴァンゲリオンの中止となったアレがあった。
奥の細道隅田川から芭蕉が上陸した千住は荒川区側か足立区側か、これは足立区民は足立区側を推す。
私が足立区立郷土博物館に勤務していた頃も互いに石碑建てたり、像作ったり。

千住の宿場町があったのは足立区側だし、文化人を支援していた家は足立区側に多いのだから上陸したのは足立区側だろうと私は思っている。

竹ノ塚東口のパチンコ屋のピーアークで何か撮影していた。
ここ、昔は美味しいうどん屋さんがあり出汁が関西風で上京したての私は嬉しかった。
ピーアークは元は竹ノ塚6丁目にあり、当時は辰巳だった覚えで靴屋さんも経営していた。
パチンコ屋のイメージを変えたいと映画館や文化イベント用ルームなどを作り、景品も工夫していたが時代は残酷だ。

私が朝日新聞の奨学生時代に朝夕刊配達していた竹ノ塚の東口側の団地は公団で、昔は入居するのに収入制限があった。中流層じゃないと住めない団地。桜が綺麗に咲いている。

ここは、朝日新聞が強い団地で殆どの階段で5階まで駆け登る必要があった。階段が5つある棟もあり、14号棟まで配り終えたら商店街を走った。東京新聞日本経済新聞なども配達していたので300以上の新聞を朝夕組んでいた。

当時、この団地はエレベーター付きは3棟だけで、慣れるまでは辛かった。2時間走っていた。
この竹ノ塚駅前団地、40年前は帆船の艦長さん、新聞記者、大手出版社の編集、東大教授、お医者さんとか文化人が住んでいて楽しかったし、本とか貸してくださったり、著作を頂けたり、客層は良かった。
新聞配達人を馬鹿にしている人も勿論いた。

朝日新聞古紙回収もしていたので、電波新聞、工業新聞、流通新聞などをまとめて読めたのは今も役立っている。

東京で絵を学びたくて新聞配達をしていたのに、今は主婦だ。
この今は主婦だとか専業主婦だと名乗ることに対して、「主婦を馬鹿にしている」とマジ御怒りの長いメッセージを寄越した人がいたが、何回でも書くが私の夢には、絵で食えるってのがあったし、漫画家もあったしアニメーターもあり、小説家もあった。
何一つ叶ってなくてたまに悲しむぐらいよかろうよ。



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岩手日報 2021年3月13日 文化欄にて

熊谷登久平の従弟の息子さんが一関の図書館で撮影してきてくれました。
岩手日報は戦前の盛岡での熊谷登久平展の時のスポンサーで戦後も多分あった。かな。

戦前の一関での個展は岩手日日新聞。

仙台は河北新聞。

気仙沼は大気新聞。

山形は山形新聞。山形に関しては戦中以降に関わっていたとの説が主だが、戦前の新聞記事や写真で山形の個展やお弟子さんが確認できる。


福島は資料が探せてない。

叶うならば岩手県千厩で文字資料もある熊谷登久平展をいつかやりたい。

私は分家の次男の嫁で新参。
義父方の一族に挨拶する予定だった義父の甥の13回忌がコロナ禍で流れてしまい、岩手県山形県熊本県ある資料にもコロナ禍でたどり着けず。

本家分家の序列が激しい名古屋で生まれたので、分家の嫁が走ってて良いのか悩みつつ。夫の体調が悪いのでやれるのは今のうちだけ。


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岩手日報 3月13日に熊谷登久平の記事が出たようです

今日、盛岡の方から岩手日報に記事が出ていたと教えていただくも、いつの新聞に掲載されていたのか分からず、岩手県の千厩の図書館に問い合わせて調べて頂いた。
ありがたいことに、千厩縁の記事のファイルに入ってたそうで3月13日の記事だと教えていただけた。

入手が大変かもな。うーん。


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