熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

家人の胃腸

夫は胃腸が弱いので食には気をつけているつもりだ。
ご飯を炊くときも加減を夫に尋ねてから炊く。

で、某日エヴァンゲリオン絡みで明智抄さんを強く思い出し晩ごはんは焼きそば気分になった。
なので夫に焼きそばで良いかと聞くと胃腸が云々と言うから彼用はきしめんにして、娘と店子さんの分は皆が大好きな焼きそばに。
明智さんも私が作る焼きそばを好きだったよ。
麺はどちらも谷中の大沢製麺所の。
肉は谷中銀座のサトーさん。
野菜はスーパーのミックス野菜。

で、焼きそばを沢山作ったよ。腕が痛くなるけど、娘と店子さんも喜んでくれたよ。
いい匂いが広がったよ。

で、夫が焼きそばを三杯食べた。

翌日そばメシにする用と私の分が……(T ^ T)
ビバ夫の食欲回復。

煮込みうどんの出汁は翌日使ったよ。具沢山の鍋焼きうどん喜んで食べてくれたよ。メインメニューの五目おこわも食べてくれたよ。

でも夫の体調は悪いままだよ。

夫が事故って大怪我して一年以上だけど、相手さんが入っていた保険屋の損保ジャパンから1円も支払いがなく、医療費も自腹で最初は10割負担で頼み込んで健康保険を適用して3割負担にし、残りは自腹が続き。
夫前できていたことの幾つかが出来ない身体となり、断らなければならない仕事もあった。

事故相手さんは親の介護を抱えていて大変なのに自分が契約している損保ジャパンに、早く払って欲しいと頼んでくれているそうだけど、損保ジャパンは一円も払ってくれない。
こちらは相手さんに対して裁判という酷い話で、親御さんの介護で大変な人に裁判。何のための保険なんだろう。

とうとうウチが入ってる東京海上日動さんが、救済処置で医療費少し出してくれることになった。

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アトリエの土地 10代だった増尾昭一とアニメ制作同人の仲間たち エヴァンゲリオン完結に思う。 ネタバレあり

今住んでいる家は熊谷登久平のアトリエの跡地である。
今は住んでいる家は広く、登久平の次男で私の夫である熊谷寿郎が思春期に宇宙戦艦ヤマトにはまり、中学高校の仲間たちとセルアニメの『宇宙戦艦ムサシ』を制作したアトリエ兼スタジオであったこともある。

何度も書いてるけど、この宇宙戦艦ムサシのメンバーの中にはガイナックスやカラーで活躍した増尾昭一さんがいて、(増尾さんは私の先輩でもある)夫たちの同人仲間で唯一業界人となった。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%97%E5%B0%BE%E6%98%AD%E4%B8%80

夫は熊谷登久平に物が握れるようになったら絵筆を渡され登久平が亡くなっても、その友人である洋画家に師事をしていたので絵心はあったが、増尾さんには敵わなかったという。

増尾さんは体調を壊して通院をする時に高校時代からの仲間に会い、悪化していく目のことや不安を語っていた。
夫たちは無邪気にみんなで一緒に還暦になる時に、高校時代に完成し公開もしていた『宇宙戦艦ムサシ』をデジタル化して増尾さんへのサプライズにするつもりだった。あの頃の元気を夢をと。
でも増尾さんは還暦になれなかった。

フイルムが入っている缶を夫は触らなくなった。
増尾さんと仲間たちで歌った主題歌も再生されず朽ちていくのだろうか。

私は当時の中高生や大学生が自主制作したセルアニメの完成品で現存しているものは少ない筈だから、セル画もラフも残っているのは貴重だから残せるようにしないかと夫に話しているけど、夫には心の整理が数年経ってもできてない。

それを残念に思っていた私だが、15歳からの友人であり同人仲間だった明智抄の突然の死に半年経っても納得できてないから、そういうものだろ。(ごめんよ夫、私は明智さんが死んで貴方の呆然を理解したかもしれない。)
(明智さんと私はエヴァンゲリオン離婚をして、エヴァンゲリオン再婚をした仲間でもあった。あ、息子の幼馴染もエヴァ離婚したわ。私と明智さんと同じく良い相手と再婚したけどね)



「いつかは宇宙戦艦ヤマトの制作スタッフになる。やってやる。』
「いつかやったらん」を名乗った増尾さんは、庵野氏を信じて、思春期の仲間が心配しても大丈夫だといいつつ不安ももらし、いつかやったらんの宇宙戦艦ヤマトには参加できたが、いつかやったらんと夢語っていた庵野版マイティジャックには参加できずに終わった。

先日NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の「庵野スペシャル」を観ながら夫は「増尾はいない」と嘆いていた。
庵野秀明氏は大変だったと思う。でもエヴァンゲリオンを完走できた。
それは、「おめでとう」「おめでとう」だ。

でも増尾さんが町屋の自宅から病院に行く途中に思春期に夢語りあった仲間に会い、語った中の夢へのため息は昇華されたのだろうか。
庵野さんは増尾さんが一緒にマイティジャックを作りたいと熱く語っていたのを知っているのだろうか。

マイティジャックをいつかやったらんと、頑張って治療を受けてた増尾さん。
彼の訃報は思春期の仲間より、元業界の端っこにいた私の方が先に知り、夫が仲間に知らせた。中には増尾さんととても近しい人もいた。ショックを受けていた。

その人はシナリオ頓挫組だが晩年の増尾さんの業界人に話せないため息の聞き手であった。
だから私は彼に書き残しなよ。
と、思っているが、我らの年齢は介護ど真ん中だったり自分が要介護になっていたり。
それでもさ、仲間たちとのマイティジャックへの夢を昇天させて天国の増尾さんに届けなよ。
増尾チックな話を。




庵野さんの奥様がカラーの話を描いておられる。
この中に増尾さんはいるのだろうか。夫たちが知る増尾さんは絵がめちゃくちゃ上手い同人仲間。
庵野さんたちが知る増尾さんはプロフェッショナルな人だろう。

スタッフロールに流れた名誉特技監督増尾昭一

ありがとう
ありがとう

さようなら



(あ、JUNEで私らが出したエヴァ本がAmazonでめちゃ値上がりしてる。転売ヤー憎し。私らには1円も入らない。きちんと公式で出したのに。同時期に他社が出したエヴァンゲリオンスタイルとかは非公式で絵も好きなように画面どりしてて、パテント払わなかったのに。
JUNE版で、あさりよしとおさんが描かれたゲンドウと冬月の朝御飯ネタはよいものです。)


私がかつてJUNEのエヴァンゲリオン本で書いた『エヴァがいやや』
テレビ放映版の頃、保育園児だった私の二人の子が今では30代となり、私には孫もできた。
25年という期間、なんだかんだとエヴァはあり、まだ産まれてない孫のために用意したクリスマスツリーはエヴァンゲリオン仕様だ。知人がパチンコの景品で企画したレアものだ。
コロナ禍で出せなかったけどな。
仏間に飾っていた初号機は猫が折った。
あの頃の私はアラサーだった、エヴァ観るたびに明智抄さんに愚痴の長電話をした。
今回愚痴の長電話はジュネの編集長だった佐川さんにした。
恋愛脳の古臭いジェンダーから解放されないエヴァンゲリオン。箱庭のエヴァンゲリオン

ありがとう、さようなら、すべてのエヴァンゲリオン

カヲルくん(T ^ T)



https://annomoyoco.com/news/%e5%ae%89%e9%87%8e%e3%83%a2%e3%83%a8%e3%82%b3%e6%8f%8f%e3%81%8d%e4%b8%8b%e3%82%8d%e3%81%97%e3%80%81%e5%ba%b5%e9%87%8e%e7%a7%80%e6%98%8e%e3%81%a8%e3%82%ab%e3%83%a9%e3%83%bc10%e5%b9%b4%e3%81%ae%e6%ad%a9/

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ヤフオクの長谷川利行 模写 熊谷登久平のシール付き

何回も書いているが熊谷登久平は長谷川利行の贋作騒動に巻き込まれていた。

死ぬまで後悔していたのは別紙に鑑定を書いて本物に貼ったはずなのに剥がされて長谷川利行の贋作に貼られたこと。

晩年に裁判を起こそうとしていたが倒れて終わってしまった。
残念ながら我が家に長谷川利行の何を鑑定したかの記録が見当たらず、たまにヤフオクに流れてくるのをウォッチするのがせいぜいだ。
去年だかに流れていたのは田端の絵だったが、買えなかった。


今回は看板建築を描いたものが流れてきた。
シールを貼られている場所が微妙。
額装をしたときに裏に厚紙をはった痕跡もある。

長谷川利行の作品のサインは本人ものもと、天城画廊の主が描き込んだものが有名だが、今回流れてきた作品にはサインがない。
恐ろしいことに、彩美堂から出た中には売れる前の大物画家が置いていった絵を利行が手直ししてサインを描いたものもあり、それらは良い絵で結構悩む仕上がりだったとか。
その後、出世した大物洋画家本人たちが検証したと私は聞いている。確証はない。

この手直しはかなり描き直しているので、長谷川利行と言えなくはないとか違うとか、私にはわからない次元の話ではある。

熊谷登久平は恩ある彩美堂の土肥さんが巻き込まれた時には長谷川利行が描いた作品を選別した。と書き残している。
が私には断言できない。知識がない。


今回の登久平のシール付きはヤフオクのルールに従い模写として売られていたが、なんか結構嫌な感じだったので落札した。
シールを生で見たかった。ごめんなさい私は熊谷登久平推しです。

さよなら新しいiPhone
指紋認証がつくまで私は待つわ。

こんにちは、おとーさんのサイン。

おとーさんのサインはおとーさんが死ぬまで悔しがっていたケースの証明なので、iPhoneの画面バリバリに割れてますけど耐える。

おとーさんのサイン。
ここはアトリエの跡地だよ。
おとーさんが長谷川利行たちと憧れ、長谷川利行を看取るために買った屋敷の跡地だよ。
おとーさんおかえりなさい。


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以下、買えなかった田端の絵。


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戦前に義父が所属していた白日会

白日会に熊谷登久平が持っていた戦前の資料を少し届けた。
今の事務局の人たちは存在を知ってても見たことがない品々。
戦前の写真も熊谷登久平と仲間だった村上鉄太郎氏のお孫さんが持っているものは貴重だとのことで、コロナ禍が落ちついたらとなった。

白日会、一般入選の中に中学2年生の作品があり、すげーよ、この絵いいなと思って少し時間をかけて観てたら白日会の人に14歳と教えられてビビったよ。
ビビりすぎて写真撮り忘れたよ。

写真といえばホキ画伯のような凄い写実も沢山あって流行りなのかなと。

とてもいいな、好きだなと思う作品も多くあって、私の琴線に触れるのは学んだ先生の属していた光風会系のタッチなのは思春期への郷愁もあるかな。

楽しかったです。



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秋山巌 生誕100年展 西日暮里駅徒歩圏の太平洋美術会ギャラリーにて

秋山巌生誕100年展に行ってきた。
(義父の熊谷登久平は生誕120年。)



大英博物館
ヴィクトリア国立美術館
イスラエル国立美術館
ケンタッキー州立美術館
ボン大学
スコットランド国立美術館 他に収蔵されている凄い版画家さんであるが、絵もある。
大英博物館に収蔵されている版画のNo.1が展示されている。
つかNo.1だらけ。


娘さんが調べた軍歴もある。
終戦後にラバウルから帰還してる。
つい、部隊は何処だったのだろうかなど気になる。
奥様とのきっかけは慰問袋かな。奥様が可愛い。




https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E5%B7%8C

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くたり 幻となった足立区の私設美術館

結構、まだ疲れが残っています。
足立区の江北にあった私設美術館がなくなっていて、消息を求めたら栃木県の矢板市にも美術館があった。
が、矢板市に問い合わせたら閉館したかもな。

館長だった住友医院の院長が書いた日本の洋画家たちの本が私は結構好き。

あの、膨大なコレクションどうなったのだろう。

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