熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

谷根千の#ザクロ アリさんの店

今日は気になっている戦死の石碑を調べに富士見坂の下に行った。
コロナ禍の中なので寺に話を聞くわけにもいかず、石碑の裏をチェックしようとしたが植木が茂ってて読めず。
石碑の横の桜の花が少し残っていた。

その前を道なりに行けば谷中銀座
日本一うざい店長アリさんの店、ザクロをのぞくとテイクアウトを始めていたので購入。
アリさんの店には雑貨などもあるが値下げして売っていた。
挨拶がてら話を伺うと苦しいので現金が欲しく赤字価格で売っているとのこと。
アリさんの店は大事な友人が来たら連れて行く谷根千の店の一つ、ランチは一人で行くけどね。
そんなに大変なんだアリさん。
谷根千に店を持ってから25年、外国人ツアー客を受付てなかったからインバウンドの直撃はなく、自粛によって経営を圧迫しているようだった。
アリさんは痩せたし、しょんぼりしていた。
夜眠れないそうだ。

普段、アリさんの店は楽しい。
料理も次から次に出てくるから私はご飯をナシにしてもらっている。
持ち帰れるものは避けておき、美味しい料理を楽しみ紅茶を飲み、ベリーダンスを鑑賞する。
ベリーダンスは教室も持っているような先生がたが披露してくださり、艶かしいダンスを鑑賞した後、先生によっては皆に教えてくれる。
あの一体感も楽しいが、コロナ禍の今は難しい。

今回持ち帰ったのは羊肉のピロシキとマントウ。
好き嫌いが結構ある夫も好きだ。

コロナ禍おさまれ。




















今日のヤフオクの長谷川利行と、天空のラピュタのムスカ大佐の中の人の寺田農さんのお父様の寺田政明の作品?も出てる。

今日は寒いと言って良い肌感覚で、怠く体温が35度に届かない。
なんとかご飯を炊いて、炒め物だけで晩ご飯という超手抜き。
どういうのかな盛り付けるのもしんどい。
ミスタードーナッツで抹茶のポンデとか売っているらしいが買いに行く気力も体力もない。



贋作が多いといわれている長谷川利行の作品らしき油絵がヤフオクにあがっている。

今日、私としてはヤフオクに出ている寺田政明さんの作品が気になる。本物だろうか。

1929年には下谷区谷中真島町1-2の辻ハウスに在住していた画家さんで、長谷川利行とも交流があった。
と書くより、息子さんの寺田農氏は俳優となり天空の城ラピュタムスカ大佐の声の人だ。


ヤフオクより。
寺田政明
◆独立協会賞・自由美術協会・主体美術協会・日本アンデパンダン展・日本国際美術展現代日本美術展◆筑前玄海灘の島/男島女島








熊谷伊助 関係の本が出ていたけど、ちゃぶ台返してしまう

#仙台領に生きる郷土の偉人傳
古田義弘著(千厩生まれ仙台在住)
本の森発行
令和2年4月3日初版
112頁の薄い本、800円税別

義父の一族の熊谷伊助の項目があり購読。

伊助の資料は千厩の村上光一先生の書籍が仙台の図書館にもあり、伊助直系のひ孫の熊谷守美氏の手記がある。
なぜ参考にしないのか謎。
その他暴れたく候ふ。

これ4月に出た本ですが、編集が校正しておらず熊谷伊助の新資料にはならないです参考程度に。

本の森という出版社は熊谷家に恨みでもあるのかしら、他の本では熊谷登久平を経済人で銀行の人としてるけど、それ丸森とかの登久平の兄弟と間違えている可能性もあるとか。
おかげで私は義父の銀行員説の一次資料をずっと探し回ってますわ。

著者は千厩出身で、義父と矢野文夫さんが卒業した旧制一関中学こと一関一高。
今は仙台住まいで、仙台の千厩出身者の会の会長の経験もあるようだ。

勝海舟日記と千厩の熊谷家に残る手紙と、千厩町史、岩手県史、千厩の日野屋つまり熊谷の本家と谷中熊谷家(うち)と伊助直系の足立熊谷家と片瀬熊谷家の伝承とか調べないのかな。

古い横浜開港記念冊子と古新聞も調べたら良いのに。
まあ死因すらブレてますけどね。
伊助の研究者いないかなぁ。












ヤフオクに岩手県の千厩の古い地図が出てるが高い

ヤフオクに義父の故郷の千厩の地図が出ている。
義父が千厩の想い出を随筆で連載していた頃の地図で、大店の店主とかが義父の幼馴染たちの時代。
日野屋は義父が逃げたので、イケメンな弟の広助さんが跡取りになっていた。
映画館では義父が売り込んだ映写機のニュースターが活躍しててテアトル東都は日野屋の三男が経営していたと思う。























雨です。図書館と資料館はいつになったら開くのだろう。

夫の具合が悪くて、耐えがたい気持ちになる。
夫婦で心臓が悪いが夫のは結構怖い。




義父、熊谷登久平のアルバムには画家仲間と思われる人々や、苦楽を共にした内縁の妻の姿があるが、誰が誰だか分からなくて詳しい人はいないかと白日会と独立美術協会に問い合わせている。
残念ながらコロナ禍で何もかも中断している。
戦前に山形で白日会の人として教えていた様子や、山形での個展。
岩手の盛岡での個展の様子などもあるが、それぞれの県の美術史からは抜けており、一関市が作った熊谷登久平の記録からも抜けている。

一関市在住のノンフィクション作家が書いた書籍に至ると義父は銀行員の日曜画家だ。
何を資料として書いたのか本当に聞きたい。
有名な画家ではないけど、趣味で描いてる自称画家ではないと思うんだよ。






































































耐えがたい