家業で千駄木の高台、近衛家の屋敷があったあたりより少し谷中寄り鴎外さんちより上に家業で出かけた。
そのあたりには文人が多く住み昔は屋敷が多くあったそうだが空襲で焼け、華族とかは敗戦後の税が大変で土地を手放し、その後地価高騰で相続税などで手放された屋敷もあり、それでも立派な家が多い土地柄だ。
夫と軽トラで走ってて、この辺に義父とは白日会と独立美術で同じ会場に作品が展示された奈良岡正夫画伯のアトリエ兼屋敷があったはずだけどなんて雑談しながらお客さん宅へ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E5%A4%AB
夫が作業をしている間、奥さまと雑談し奈良岡画伯と娘さんの奈良岡朋子さんの話しになった。お客さんの家は高台で昔は浅草の花火も見えたとか、谷中の五重の塔が焼ける様子も見えたとか、かつては谷中と寛永寺の塔が見えた話しなど。
奈良岡画伯の作品は娘さんが通っていた千駄木2丁目の東京市汐見国民学校(文京区立汐見小学校)にあるのは(私の世代ぐらいまで)知られているが、近所のお医者さんにもあると教えてもらえた。などなど。
↓奈良岡正夫作品(個人蔵)
奈良岡正夫画伯の経歴からは抜けているが画伯には太平洋美術時代があり、この作品には当時の太平洋らしさもあると私は思っていたり。
なお、先日紹介した鶴田吾郎画伯らと太平洋を抜けたひとりでもある。