我家のお向かいの御住職の金子隆一さんは雅楽を愛し近隣の方々と雅楽の会、橘雅友会を作り、毎週一回練習回をやっておられたので、町内は夜になるとアチコチから和楽器の音が聞こえ、週一の練習会の時は合奏を楽しめた。
本当に趣味人だったのだなあと通夜で金子さんの雅楽仲間の演奏を聴きながら故人を偲んだ。
何事にも没頭する人だったと夫はいう。
卒塔婆の文字も直筆で書いておられて達筆だった。
今日の谷中は小雨で夫は車椅子なので参列を見送ったが、店のガラス戸の内側からずっと眺めていた。
受付には町内会役員の夫の友人たちが座っていた。
挨拶をしたのは町内会会長で金子さんの隣の寺の御住職の金森さん。金森さんより若い夫の幼馴染の本妙院(我家の隣)の元住職のヨウちゃんや、正行院の隆一さんが先に亡くなり、夫とかつての森繁久彌さんのようだと話した。
通夜の最中にパトカーがきた。
通夜に集まった車が駐車所に入りきらず数台が中に人を残して待機していた「通報があったので」とお巡りさん。
うちの前の広い道は元々門前で私道だったのを、前の東京オリンピックの時に都に寄贈した場所だと聞く。我家の持ち分もあった。
複雑な気分で雨の中車を移動させる人たちを見る。
私の焼香の時に目の前にいたのは夫の同級生の寺ちゃん。金子隆一さんの正行院のお隣の射仙院の御住職。
夫、参列したがっていたのを雨に濡れて状態悪化したらヤダととめたのは可哀想だったかもと思いながら通夜会場の向かいの我家に帰宅したら、夫、私が通夜に向かった時のまま店のガラス戸ごしに待っていた。
金子隆一さんは生涯現役、趣味も仕事も家業も現役のまま亡くなられたのは夫曰く、夢だと。