義父、熊谷登久平が随筆『長谷川利行と私』で書いている困窮していた2人に絵の具をくれた僧侶の金子さんとは誰だろうとずっと考えていた。
我が家の向かいの金子さんちではないことは、去年亡くなられた恵比寿の写真美術館の学芸員でもあったご住職の金子隆一さんに確認済み。
昭和初期、洋画を描いてた金子さんという僧侶というヒント。
我が家の近所、言問通り沿いの本光寺(谷中1-5-2)に金子何某という表札があり、この通りにある二軒の額縁屋で長谷川利行と熊谷徳兵衛は初個展をやっている。
本光寺はその二軒の額縁屋、彩美堂と大地堂(木菟社)の中間になる。
90年以上昔の話しを聞きに行っても良いだろうかと思いつつ、今日、思い切ってお伺いした。
聞くと、現住職のお祖父様(故人)が長く油絵をやっておられたそうで、その人であろうと。
現住職のお父様(故人)も油絵をやり、多摩美卒で長谷川利行も出展していた一水会に入選したこともあるとのこと。
義父と長谷川利行に絵の具を分け与えてくれたのは、かなりの確率で本光寺の先先代のご住職の金子さんだろう。
そして、本光寺には江戸時代末期の洋画家石川大浪(いしかわたいろう)の墓がある。宝暦12年(1762年)- 文化14年12月23日(1818年1月29日)
ミーハーな義父だから、絶対にお参りしたんだろうな。
もう関係者が来ることはなく無縁だが、先先代、先代が大事にしていたのでこれからも大事にするそうだ。
↓先先代の作品。
先代の作品。
本堂は当時のまま。