熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

ヤフオク 熊谷登久平の1935年白日会出展の『ざくろ』か

ヤフオクに熊谷登久平の作品らしきものが出ていたが、キャンパスの裏に白がべったりと塗られていて、義父がこれをしている作品を私は見たことがないので少し悩んだ。

 

額縁は長谷川利行と個展を開いた大地堂のもので、嵌め込まれているネームプレートは大地堂のすぐ近所の佛雲堂で作ってもらった額縁に嵌めてあったものと似ている。

この金属のネームプレートは佛雲堂の浅尾丁策さんが作り流行らせたものだと言われている。

 

1927年に言問通り沿いにあった大地堂と彩美堂で開いた長谷川利行と熊谷徳兵衛の個展は、今では謎の人となっている松尾恒夫との3人展だったようだ。(松尾氏は1930年協会と白日会に出展記録が残るが戦前だけだ。

熊谷守一氏が長谷川利行と連んでいた仲に省電務めの画家がいたが戦争で……かもしれない的な手記を残しておられる。その人の可能性もある)

 

で、話が逸れているが、夫が物心ついた時には義父は額縁を谷中の彩美堂と佛雲堂で使い分けていたという。

でも彫刻家が始めたという大地堂にも義父は世話になっていたのは確かで、中身の絵が本物でなくても額縁は資料として欲しかった。

今大地堂はギャラリーとなっていて額縁の資料はない。

 

この出品作品のサインは義父の戦前のものと似ている。

使っている紫色は1930年ごろから1940年ごろまでよく使っている。

1935年に白日会に出した中に『ざくろ』という作品があったが、ヤフオクでは『果実』となっている。

白日会に出した『ざくろ』は写真を見つけてないので私ではなんとも言えない。

 

前回ヤフオクに出ていたのは葬式後にダカダカと来て先生と約束していたとかで持ち出されたものの可能性がある。

 

その前は我が家から差し上げたもので義父の作品だが、サインは頼まれて次男である夫が書き込んだもので、それ以外は義父のだ。

 

義父の贋作も一時期出回ったそうだが、それはそれでみたいと思っていたりする。

です。

 

 

 

『熊谷登久平『果実』額装〔キャンバス M10・油彩・真作〕/洋画家 岩手県東磐井郡生れ 独立美術家協会会員/果物画 静物

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j1003365429

 

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