魚住中学まで旧街道を自転車で4キロほど走って着く。
その間に長い坂があり登り、下り、また坂を登って天辺が魚住中学だった。
喘息持ちには辛い通学だった。
田畑と山と沢山の溜池と集落ごとの神社と寺しかない面白くない通学路だった。空気が良いと父が選んだ村だが閉鎖的で人間関係が辛いことばかりだったので、まず神戸の高校に逃げて、東京の学校に逃げた。
神戸の高校の周囲には遺跡が多くあり、檀家制度に縛られてない神社仏閣があり、徒歩圏内の須磨離宮に至道の高級住宅街の建築も楽しめた。ふらりと行ける水族館も好きだった。
で、今は半径4キロで皇居があり、徒歩圏内に上野公園があり、武家屋敷ゆかりのあれこれもあり、夫が通っていた上野中学は寛永寺の中にあり、上野動物園もトーハクもカハクも都美も帝国図書館も西洋美術館もオーケストラの演奏がある文化会館もあって、なんという幸せだと。
魚住中学時代に神戸の湊川にバレーを観に行ったと話したら「ええかっこしい」。
親戚に画家がいると話しても嘘つき呼ばわりされれる。
あの閉塞感はとても嫌だった。
一昨日と昨日は文京区の主婦友と旧古河庭園と上野動物園を堪能した。
友人は昨日が誕生日で双子パンダの抽選に当たり良い誕生日となった。
彼女と上野動物園に行くときは慰霊碑で一緒に手を合わせる。
戦時中に犠牲になった動物たちもそこに祀られている。
私たちは『かわいそうなぞう』を読んだ世代なのだが、のちにこの話の問題点も話題になった。
詳しくは書かないが丁度私が上京した頃に『そして、トンキーもしんだ』という話が刊行された。
戦争を書くのはとても難しい。
友人と上野動物園に行くときは30年前に戦時中の取材をした時の色々を毎度愚痴るが、手を合わせて戦争を繰り返してはいけないと願うのは今も変わらない。
私が育った明石の村も機銃掃射で複数の犠牲者が出た。
明石の市街地の空襲は良く報道されていたが田園地帯の空襲被害は話題にならなかった。
今はどうなんだろう。