夫を午前の診療に連れて行く。
町内会の掲示板に義兄の幼馴染で、写真評論家、写真史家、東京都写真美術館の元調査員の金子隆一さんの訃報が貼られており、夫に頼まれてその前に車椅子を押して行った。
夫雨に濡れた訃報に見入る。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AD%90%E9%9A%86%E4%B8%80_(%E5%86%99%E7%9C%9F)
https://www.cinra.net/column/shashin-kaneko/amp
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784872627114
金子隆一さんは我が家のお向かいの寺の跡取り僧侶なので、休みが取り易い形で都立写真美術館に勤務していたと聞く。
24時間呼び出しありのお寺の僧侶との兼業があるからの研究職であったが、都立の博物館系(東京都歴史文化財団)の学芸員たちが専門外への博物館などへの移動もありになってしまってからも、ずっと写真美術館に勤務でき研究もでき、キュレーションもできた。
兼業という勤務形態は金子隆一さんが好きなことがやれる最良な選択となり、幸せだったのかも知れない。
倒れられてから長く近く入院されていたが、御家族が寺を守っておられた。
ご冥福をお祈りいたします。
車椅子のままでも良いから長生きして欲しいと訃報に見入る夫の背中を見る。
爽やかになった夫の頭がうざいぐらいの癖毛に覆われていた頃は、夫の幼馴染の僧侶たちは修行で大変だったそうだ。
幼少期は墓で遊びまわったとか。
うちの前では盆踊り大会も開かれていたそうだ。手伝えるようになると皆でヤグラを組んだりしていたそうだ。
金子隆一さんや義兄が生まれた講和条約前の戦後日本期から、昭和40年代まで我が家の前の元私道は子どもたちの良い遊び場だったそうだが、今では静かだ。
たまにボール遊びや自転車の練習をしている親子がいる程度だ。
墓で遊び回る子どもも今はいない。
コロナ禍で斜向かいの仏教系の大学の学寮が廃止になり、学生たちの勤行も聞こえなくなった。
隆一さんたちがたまに集って雅楽の練習をしていたのが、今は彼方此方から和楽器の音色が聴こえる程度になった。
夫は寂しくなったと言う。
損保ジャパンが金出さないと言ってきたので、弁護士さんが激おこ。
休業損害と遺失利益と交通費は我が家が入っていた東京海上日動が、夫への救済処置で出した金で相殺されると言ってきた。
つまり損害ジャパンは金出さない。
東京海上日動の弁護士特約入ってなかったら精神的にもたなかったと思う。