熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

朝日新聞団子坂店を切なく思い出す。元新聞奨学生の私。

昨日の朝日新聞東日本版の第二社会面に、義父熊谷登久平の遺品である長谷川利行のスケッチブックの記事が載った。


新聞離れが進み近所のセブンイレブンには夕刊がなかった。

私が世話になった鎌田店長夫妻の朝日新聞団子坂店も今はない。そこは谷根千千駄木にあった店舗だ。

当時、19歳の少年社員による逆恨み放火があった。
世話になった奥さんが焼死された、放火犯もよく知っていたので私たち元新聞奨学生や関係者には余計にショックだった。

その後、鎌田さんは奥さんの友人と再婚をし、しばらくしたら他所に再建した団子坂店から出て行った。
その団子坂店は違う名の朝日新聞売店となっていたけど、いつの間にかなくなった。


鎌田夫妻のブックストリートにあった団子坂店の跡地は今はマンションだが、その前を通ると今も心がチリチリする30年も前なのに。

そんな縁がある朝日新聞だが、今回義父の名が載ったので購読したいと思って販売所を検索した。
本郷にあった。もう谷根千には朝日新聞売店がないと知り寂しく思ったけど、うちも東京新聞を購読している。昔のように新聞を複数購読していない。

本郷にある朝日新聞本郷千駄木売店に電話をして、昨日の夕刊があるか聞き購入した。本郷千駄木店は本駒込にあった。配達範囲めちゃくちゃ広い。不着当番やりたくないと思った。
そして、鎌田さんが今どうしておられるのか聞いた。
朝日新聞には店長会とかあるから。
そしたら鎌田さんには10年ぐらい前から会ってないそうだ。7年前の名簿にも名がないという。
私の最初の保証人夫妻だった。
娘さんと息子さんがいたけど元気なんだろうか。
娘さんは私の学生時代に生まれたので、18歳下だ。
今はアラフォーか、あの可愛い娘さん幸せだろうか。
とか、朝日新聞を見て心がチクチクする。

スケッチブックの中はいたむの怖いから全部は撮影してません。









このスケッチブックを見つけてから私は買える範囲の長谷川利行関連書をプレミア価格で購読し、つまり結構ヤフオクとかで競り落とした。
矢野文夫氏が編纂した長谷川利行全集を熟読してスケッチブックの中の文章が掲載されていないことを確認した。
文字もとても比べた。

出どころが熊谷登久平宅だし、多分本物だろう。
と、一番最初にスケッチブックが描かれ、地名も書いてある台東区に連絡したが部署無し。寄付は受け付けてないと言われる。

そのあとメールであちこちに連絡したが返信なし、電話もしたが折り返しての電話なし。

これが介護離職の現実かと情けなくもなったけど、平成が終わって令和になる時にこのブログを立ち上げてアピールを始めた。
検索で引っかかるよう重複上等、ツッコミ上等で脇をゆるくして書いているつもりなのに、誰がどうしたら良いか教えてください的な、迷走しつつ。

おかげで長谷川利行の第一人者の原田光先生と福島と府中の学芸員さんと、私の古巣の足立区立郷土博物館の美術史の学芸員もきてくれて本物と言ってくれた。

その後のジタバタもここに書いている。

朝日新聞が東日本版の夕刊で原田光先生の見解も入れて写真も数点で扱ってくれたので、預けてある足立区立郷土博物館にも少しは恩を返せたろうか。
美術品や歴史的資料を管理する倉庫は空調費もかかり、そこに入れてもらえるって簡単なことではない。
美術史的に価値があると判断してくれた元上司の史学の学芸員と若い美学の学芸員さんのおかげです。

義父が大切にしていた青春の思い出を私が劣化させたら申し訳ない。

スケッチブックに登場する人たちも皆故人。
研究は美学の人たちに任せて、次の長谷川利行展の時に公開されたら良いなと思っているし、薄く書かれるようになっている熊谷登久平と長谷川利行との関係も見直されたらよいなと。

それで父の絵の再評価がされたら良いなと、熊谷家の嫁としては思うのですよ。
もの凄い長期戦ですが、熊谷家は本家分家といっぱいあるのでなんとかなれば良いな。
台東区が公開してくれたら嬉しいのだけど、台東区には場所がない、専門の学芸員がいない。短期契約の学芸員にも美術史はいない。文明開化の最先端の区であったのに残念だ。

登久平が尊敬していた、勝海舟の親友の熊谷伊助の石碑の横の間違いだらけの説明板も、市川市の歴史の学芸員さんが動いてくれることになったし。




ジェンダー
私介護離職やら色々経験して、社会の流れの中で生き残るには古い家制度も選択肢として良いと思うようになりましたので、熊谷の嫁としてやってます。
フェミニズムとは思わない。
選択肢を選べるのが大事だから。