熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

ボロ市行ってきた 銚子電鉄 #松榮堂

義父が好きだったという岩手県一関市地主町の松榮堂の「田村の梅」に砂糖がまぶしてあるバージョンは見たことがないが、田村の梅は美味しい。
梅あんを求肥で包み青紫蘇で包んだもので、私も好きなので去年盛岡駅でも買えたのでお世話になった方に差し上げた。

https://shoeidoh.co.jp/about/index.html

今日は世田谷区のボロ市
代官様が治めていたんだから江戸ではなく、旧東京市にも入ってなかったけど今は高級住宅地の世田谷区。
海軍の天山乗りたちが集うのも世田谷区だったなぁ。

世田谷区は税収が多いから例えば愛の手帳や精神障害で苦しむ人向けの自立支援施設が充実していている。
(台東区、足立区、文京区と比較)
美術館と郷土博物館やらあれやらこれやら羨ましいぞ世田谷区。


マジで意識が高いから東日本大震災の後からかボロ市には被災した地域のお店さん向けのコーナーが作られている。
台東区の場合は人通りが少ない吉原だった千束に被災地のものを期間限定で並べている。

ボロ市は集客力があり出店を出す側にも人気がある。
元からのボロ市会場の商店でなければ区の商店ですら抽選に外れたら出られない。
世田谷区の美味しいお店も去年外れたと聞き驚いた。
会場の通りの店もボロ市の時は証明書を見えるところに貼っている。

で、復興支援枠で来ているお店に福島の野菜を売ってる所があり、美味しそうな里芋が一袋百円。
文京区の友人とカラの一応オシャレなリュックを背負ってきたが二人で早速里芋を購入。そこはボロ市への入り口あたり、メークインの美味しそうなのもあった百円。
喜んで購入。
葉付き大根、白ネギなども買いそうになったがリュックから大根の頭と葉と、ネギを出して延々とボロ市を歩くのを考えて大根とネギは諦める。
この段階でリュックは膨らむ。
新潟から笹団子が来てる。安い、香り良い。
でもここ入り口、先は長いと諦める。

なんか戦後の都心から世田谷区に買い出しに気分。
新潟の米もある。
古代米もある。古代君だよ古代君だよ。
とか言いながらオシャレなリュックの中身はジャガイモと里芋。

友人とあれこれ買ったり食べたりしながら、代官屋敷前の復興支援コーナーへ。
銚子の店が出てた。
銚子電鉄さんが #まずい棒 のぬれ煎餅味を売っている。一袋買えば電車が400メートル走るそうだ。
イラストは日野日出志先生。
友人は別の味を購入。
ここに来るまでで二人のリュックはパンパンで、西片マダムや上野の山マダム色は元からないが、完全に戦後のヤミな買い出しのお母ちゃん状態だった。

私は銚子には沢山の思い出がある。
特にB-29の編隊長で機長だったゴールドワジーさんを案内した時の思い出は深い。
銚子は東京を攻撃したB-29の帰路であった。
ゴールドワジーさんの編隊もそうだが、日中で当時はまだ元気だった帝都防衛の飛行第244部隊が高高度で待ち伏せていた。
当時はまだお元気だったB-29馬乗り竹田五郎さんや他の方に話を聞けたが、飛燕の中は寒かったそうだ。
ゴールドワジー機には小林照彦隊長が対峙し互いに当てているが、小林機は不時着、ゴールドワジー機は千葉県の神代村、今は東庄町に墜落し炎上した。
パラシュート脱出した者と機体と共に死んだ者がいるが、パラシュート脱出をしたものは捕らえられた。
その中の一人がゴールドワジーさんだ。
彼の機は銚子沖を目指していた。
機体には最新鋭のゴムボートに持ち運べる通信機があった。非常食もあった。
海上に逃げられたら潜水艦が助けてくれるはずだったが、飛行機ならほんの少しの距離に届かず墜落して炎上し取り残された部下の命が失われた。

戦後50年以上過ぎて平和になってからの銚子到着。
奥様と、ずっと海を眺めておられた。

銚子の食事物凄く喜んでおられましたよ。ホテルの従業員さんと隣町の東庄町の人々も歓待してくれました。

我が愛する東庄町江戸東京博物館に展示されているB-29のテールガナーが掘り起こされた東庄町
ボロ市に出店している銚子電鉄の方に去年秋、ニュースで東庄町に台風被害が出て、死者まで出たので驚いた話をした。
東庄町は防災意識が高く、町長さんも若い頃から頑張っておられたし災害時に拠点となる場所も沢山作っておられたのに何故と。
銚子電鉄の方は想像できないほどの雨量だったと。
今まで経験したことがないと。

復興支援のコーナーには長野や宮城、新潟など、一番奥に岩手県一関市の松榮堂さんがいたのは本当に驚いた。
親戚宅は無事だったけど一関市でも被害あったのを思い出した。東京では報道はほとんどされない。

友人は初めて田村の梅を食べて美味しいと言って買ってくれた。嬉しい。
松榮堂さんとも雑談。
千厩の店は撤退したと聞く。
熊谷登久平の実家の日野屋もよくご存知の方で、千厩で買える場所は今もあることのこと。
初めて食べる松榮堂の胡麻すり団子も旨し。
この団子は昭和の終わりから販売されているそうだ。
義父が好きだったという、砂糖をまぶした田村の梅は手間がかかり、一関の本店でしか買えないとか。
あ、松榮堂さんは一関の老舗だから旧制一関中学のこと詳しい人がいないか聞けばよかった。
女子校とか寮とか。