義父、#熊谷登久平 が #谷中 界隈の画家の会 #カルチェ・ヴァル会 に属していたはずなのに、美術史には全然出てなくて、義父の死後に書かれた年譜にも無い。
無いはずはないと、片っ端から本を漁って今日記述がある本に出会った。
#浅尾丁策 さんの、「昭和の若き芸術家たち 続 金四郎三代記 戦後編」だ。
写真左前列二人目が義父の熊谷登久平で上機嫌な笑顔。カルチェ・ヴァル初の打ち合わせ会の写真。
カルチェ・ヴァルは敗戦後の谷中界隈に住んでいた画家たちの集まりが発展し、大河内信敬氏が皆で展覧会をやろうと言い出した。
世話人となった浅尾丁策さんの上野桜木の店「拂雲堂」の二階で初の打ち合わせをやり、谷中会では野暮ったいということで、谷中をフランス語に訳してカルチェ・ヴァル。
展覧会は小品展が昭和二十三年六月十一日から十九日までプール・ブーで開催され、八月十二日から十七日まで第一回本展が上野松坂屋で開催されたと浅尾丁策さんは書いている。
上野松坂屋での写真も本には載っているが、義父の作品が写っているのかは読み取れない。
義父の手記には戦前、長谷川利行たちとも会を持っていたと書かれているが、その会についての記述がある長谷川利行関連の書籍を読んでも義父の名はない。
忘れられた画家の悲しさよ。
まだ私は長谷川利行の書籍全てを読んだわけではないので、こつこつと義父の足取りを調べていこう。