熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

鶯の初音 谷中初音町に住んでいた頃の熊谷登久平の鶯

今年初めての鶯の音を聴いた。

東日本大震災から12年。 

 

 

 

今年初めての鶯の音を聴いた。

我が家はほぼ上野の山の天辺、上野の山の寛永寺のご近所。上野の山は地震に強い場所なので今も古い寺院が残る。

 

 

江戸時代、上野の山の寛永寺(京の比叡山にあたる)には宮家出身者または皇子が東叡山寛永寺貫主(東叡大王/とうえいだいおう)に就任した。

(宮様は)日光日光山輪王寺門跡を兼務し、比叡山延暦寺天台座主にも就任することもあり、三山管領宮とも称された。(Wiki参照)

不器用な江戸の鶯の訛りを嘆かれたその雅な文人でもある宮様、鶯谷の御陰殿(上野の山の麓にあった別宅)に平安京の訛りのない鶯を放した。との伝承もある。で、そこが鶯谷。らしい。

義父が戦前住んでいた天王寺方面、上野の山の尾根道や谷中の墓地沿いが初音町(旧町名とても広い)で、鶯の初音で初音町。(夫と義兄が通っていた幼稚園は初音幼稚園。)

文京区の初音町はホトトギスの初音だとか。

 

 

平安京から宮様と共に下京してに 鶯谷に店を構えた「笹の雪」もコロナ禍でマンションになり再開は不明。

それでもなくよ鶯……

 

↓谷中初音町に住んでいた頃の熊谷登久平の鶯って作品。

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今日は東日本大震災の日なので出先で黙祷をした。

そこは荒川放水路、今は荒川の脇で土手がサイクリングロードになっていて自転車乗りたちの溜まり場で、彼らも黙祷をしていた。

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あの日は都内も揺れた。死者も出た。

私が住んでいた足立区でも全壊の建物が出た。

深川の方で働いていた息子は歩いて

足立区舎人まで帰ってきた。

息子がいた場所は幕府が大水や津波で浸かると家を建てるのを禁じていた境界の石碑の近く。

やっと繋がった電話で大江戸線の駅にいると言うもんだから、「その深い駅からさっさと出て余震がくる」と私がパニックになっていた。

 

あの日、津波東京湾にもまわり込み、荒川でも逆流したことはあまり知られてない。私は足立区の広報か何かで読んだうろ覚え。

検索してみたが足立区のサイトでは見つからず、NEWSポストセブンの2012年の過去ログに記事があった。

「3.11で東京湾津波来ていたが想定することタブー視されてた」

https://www.news-postseven.com/archives/20120308_90615.html?DETAIL

以下一部抜粋

「しかし、あまり大きく報道されなかったが、宮城県沖を震源とする東日本大震災では、東京湾にも津波が押し寄せた。内房木更津市では2m強の津波が20回以上観測され、最高は2.83mを記録した。船橋市でも最高2.40mだった(千葉県の調査)。三陸沖から茨城沖で発生した巨大津波が、房総半島を回り込んで押し入ったと推測できる。また、荒川、隅田川多摩川でも津波が遡上したことが観測されている。」

 

 

 

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