股関節が結構痛いけど銀座の日動画廊で開催している絹谷幸二展へ。
絹谷幸二画伯は義父が可愛がっていた人で学生時代に我が家に遊びにきていた。
近所で火事があった時には一升瓶を抱えて手伝いに来た人。
最後の手伝いは義父の葬儀会場。
熊谷家のアパートに暮らす藝大の画学生は熊谷登久平の名を出すと藝大教授時代の絹谷画伯の部屋に入れて、話ができたと喜んでいたそうだ。
画伯からは登久平の妻子のことを聞かれたそうだ。
うちのアパートの最後の藝大生は8年前に卒業。油絵やっていたその学生さんは絹谷幸二画伯のファンでまだ元気だった義母に画伯の部屋に入れた喜びを語ったそうだ。
私も数年前に画伯とお話しする機会を頂けて登久平の話しを聞けた。
嬉しかった。
日動画廊さんの地下の常設展示。
義父の熊谷登久平の師や仲間だった画家たちの作品が並ぶ。
銀座から京橋のギャラリー川船へ。
川船さんはランカイ屋の木村東介さんの所で修行をした人。
この木村東介さんは戦後長谷川利行をもっとも売った人ではないだろうか。
なので川船さんも長谷川利行の時代と芸術に詳しく御教示頂いている。
京橋記念碑の冬桜(単のは冬桜)綺麗に咲いていました。
帰宅後、池之端画廊の素描画展へ。
階段の踊り場の上には画廊主の父方の祖父で1930年協会などの洋画家鈴木千久馬の作品があった。
千久馬はパリから1930年協会のメンバーに佐伯祐三の入院を手紙で知らせた人。
その時期、千久馬の留守宅と飼犬の面倒を見ていたのが橋本八百二。八百二と熊谷登久平は小石川にあった川端画学校で共に学び、岩手県出身画家の会、北斗会に属した。
八百二の妻の花が鈴木千久馬の弟子。
私の母方の遠縁(血縁ではない)の石塚多喜治が熊谷守一に学び橋本八百二の研究所に所属していた。
私は石塚多喜治の画風が好きで一目惚れした一作品を持っている。
鈴木千久馬の孫が私と同じ画学校の隣のクラス。
世の中はとても狭い。
ヒマラヤ杉のアイドル猫だったラブちゃん、寒いけど元気です。