山形美術館の学芸員さんに岩手県一関市千厩の熊谷登久平生誕120周年展のチラシのデータを送ったところ、返信に歓喜した。
今冬に開催する「服部コレクション 山形が誇るフランスと日本の美術」で熊谷登久平の作品も展示する予定だとのこと。
ありがたや。
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http://www.yamagata-art-museum.or.jp/exhibition/4520.html
義父の登久平は戦前から山形に通っており、山形新聞の後援で個展を開いたこともある。
(昭和13年6月24日〜26日)
山形には義父のお弟子さんも何人かいた。
その縁もあり戦時中は山形に疎開した。
山形新聞の服部会長とは親友で義母を取り合った仲だとか。
「私は岩手県の生まれだが、戦前から山形県と足しげく関係をもっているので本県は第二の故郷のようなものだ。
山形から蔵王に行く途中、蔵王から上山に行く途中などあちこちでむかし写生に行った場所が見つかり懐しかった晴れた日、蔵王の全ぼうをつかむ産業道路、金瓶にある茂吉の生家付近など豊富な画題が残っている。
蔵王上野あたりの農家ではつつそでを着た子供たちが格子窓から手をのばして干しガキをとる素朴な風景が今もみられることだろう。
新緑の山寺では仁王門まで足をのばしてみたが、斜陽と残月が印象的だった。
山寺の道をかえれば桃菜種
細き月さえかかりていたり
熊谷登久平」
桃の節句の頃のうたかな。
↓山形美術館の学芸員さんから送って頂いた資料。