熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

午前に色々

私は何歳になっても苦手なものはダメで克服できてないので今日は寝る。

あ、夕刻にも来客がある。

3時間寝て頑張る。

 

縁戚に戦前雑誌エッチングで連載を持っていた美学者がいて、私からしたら凄いことで「凄い凄い」と長く言い続けていたが、直系からしたら物足りない感じなのが惜しくて。

記憶がある直系が生きてるうちに作品とかなんとかしたら良いのに。

と、つい言ってしまってから気まずいままだ。

エッチングって雑誌の凄さを語りたいが、あれがあった母校の美術室の資料室が阪神淡路大震災で瓦解した悲しみもコミになるので迷惑にもなる。

 

今日は猫の日らしい。
昨日、コピーをしてきた地図の上に居座り動かざること猫だもの。

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昭和10年、谷中眞島町、太平洋美術学校が載っている地図。
ここに長谷川利行も出入りしていました。

 

義父の友人も太平洋で学んだ人が多くいて、義父が戦前に属していた白日会のメンバーも、初回から出品していた独立美術協会も太平洋出身の人が多い。

眞島町への移転前の太平洋画研究所は谷中清水町12番地って池之端画廊と山中旅館の近所にあった。

太平洋で学んでいた人が多く属していた白日会の発祥地は谷中清水町6番地。
時代はずれるけど近いです。

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↑義父の仲間だった村上鉄太郎さんのお孫さんから頂いた白日会の写真。

前列右から二人目が谷中清水町の自宅を事務局兼用にした富田温一郎画伯。

 

 

地図広げると猫がのる。

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ハードカバー広げても猫がのる。

 

今日の午前は本当に疲れた。

相手さんも私が緊張しているの知っているから気を使っておられるけど、仕事だからごめんなさい。

 

 

 

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