熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

落ち着いていたのに金曜日のがきた 今日のヒマラヤ杉

 

4月末の金曜日に電話をとるなり「テメーよー」から始まり20分以上怒鳴られ続けてから暫く家から出られなくなり、買い物もネットスーパーメインとなり、用がある時はタクシー運転手をしている友人に送迎してもらうか、文京区の友人に家まで迎えにきてもらい付き添ってもらう期間が続いた。ずっと相手に時間があるであろう金曜日が怖かった。

その間郵便で脅迫状も届き、またよくわからないご意見ももらうようになっている。

それでもひとりで出かけられるようになってきて、生活圏外に出かける先で知り合いが待っててくれなくても大丈夫になった。

 

で、今朝スジがわからないメールが怒鳴る人からきた。

過呼吸をおこした私に夫はキチンと向き合うよう言う。ラベンダーティを渡してくれたが1時間以上経っても胸が痛く、肋間神経痛なの胸の中がつるような感じ。

何が何なのかわからない。

 

 

今日はあかぢ坂の説明会があるが無理。

猫のしっぽちゃんの通院予約もあるが、夫にシニアカーで行ってもらいたい。

自律神経が変になっているのか体温が34.6で、呂律が変だ。

今、ヘルパーさんに付き添ってもらっている。

 

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池之端画廊さんの展示の中に晩年に独立美術協会に入った高間惣七画伯の作品があった。

同じ独立美術協会だった義父と展示期間が重なる時期がある。

https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9375.html

以下東京文化財研究所のサイトより。

『昭和30年(1955)、突如、官展系との関係を絶って独立展に出品。勇気ある行動として話題となったが、同年独立美術協会会員となって、以後、独立展を中心に主要な作品を発表してきた。昭和34年(1959)第5回日本国際美術展では「海風」を出品して優秀賞を受賞、昭和39年には渡米してマイアミ近代美術館で個展を開催し、同48年4月勲三等瑞宝章をうけた。鳥類を好み、自宅にも多数飼育して鳥を題材とした作品も多く暖色系の明るい色調を特色とした作風で知られた。』

 

今回の池之端画廊さんには義父と同時期の独立美術協会や1930年協会の画壇の作品も複数並んでいる。

 

熊谷登久平が独立美術協会で死ぬまで中堅だったのは仕方ない気がする。外では大きな顔をしつつ自分らしさを模索し続けた登久平。でも自分の作品が好きだった登久平。

絵を手放さず並べるのが好きだった登久平。

義母に「やっと描けたと、これからだ」と言っていた時期に癌で亡くなったが未練は沢山あっただろう。

 

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