熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

懐かしさを感じるサイト

http://doteraoyaji.sakura.ne.jp/syouwa/index.html

ツイッターで紹介されていた個人蔵の写真のサイトです。
私が上京してきた頃の東京はこれに近いです。
もう40年前ですからそうなりますね。

今コツコツの熊谷登久平の戦前戦中を調べていますけど、台東区には戦前の美學や博物館に帝国図書館があった頃の資料が見当たらず、四苦八苦しています。
永田町の国会図書館に行くしかないか、地図は久しぶりに茨城の国土地理院に行ってローラー作戦か九州のゼンリンかと悩んでいたり。

台東区なぜか空襲と震災と水害の被害がなかった上野の山の調査を殆どしてない。
下町のものはあるけどって感じです。
義父たちの短歌の同人仲間が谷中清水町に戦中まで住んでいて仲良くやっていた痕跡は我が家にあるのだけど、その人が住んでいたのはかつて理研の会長や役員の屋敷が並んだ理研城下町と呼ばわれていた一帯。
その辺をサラッと調べたいと思っても資料がない。
役員たちは戦後戦犯容疑で大変なことになったのは近現代史にあるけれど、空白だらけだ。

あと、義父の正妻と思われていた新聞によっては京子さんと書かれている熊谷家への手紙では絹子さんで、銀座のカフェのサロン春の女給頭だった、夫たちにはおばあちゃん。
義父が成功した後も上野の山の美術館か博物館で働いていたと、戦前の彼女を知る熊谷家の人に聞いた。
モガだし、女学校出を売りにしていたサロン春の女給さんだし。
で、戦後に編纂された高見順の銀座の中に収録されている対談にカフェの女給の中に結婚して上野の博物館で働いていたのもいた的な話があり、これがもしかしたら彼女かも知れない。
熊谷登久平の女房は女給と何人かが商業出版で書いている。

とかこの辺とか戦争の時の画壇とか調べててたまに切なくなります。