舎人ライナーで見沼代親水公園駅まで行き、友人と待ち合わせて川口市のサイゼリヤで晩御飯を食べた。
このサイゼリヤは前に住んでいた団地から一番近いサイゼリヤで、元夫に離婚届のハンコを迫られた場所でもある。
あの頃はアルツハイマーの母の介護と子どもの受験とが重なり、元夫への時間を作れなかったので彼が若い女性と付き合ったのは仕方ないよね男だもん。
とか思ってるが今も約束した養育費をくれず、わけのわからないイチャモンをつけられ、怖い日々でもあったので恨みがないわけじゃない。
でも、元夫が不幸になり老後が心配な身になると、思春期に養育放棄をされた二人の子どもに扶養義務が襲いかかるので、奥様と幸せていてくださいと本気で願っている。あと奥様より早く死なないで、きちんと介護をしてもらって欲しい。
私は不倫され離婚されたおかげさまで、今夫と再婚して生きていて一番幸せな時間を過ごせるようになっているので、ハンコを押したサイゼリヤの同じ席でも本日は美味しく頂きました。
見沼代親水公園駅の舎人の歴史展示が替わっていた。
以前は東京の海岸沿いの舎人時代の展示で発掘された土器や人々の生活を展示していた。
今は有史の資料がある戦国時代の文書の存在と、戦国武将舎人孫四郎の展示。
江戸時代以降の宿場町時代の展示などだ。
木簡は少し東の伊興からは出ているが舎人からは出ていないし、吾妻物語には伊興のことしか出てない。
その辺りは伊興遺跡公園で見られる。
舎人孫四郎、というか舎人氏は舎人の古くからの家で、本人たちが舎人親王の子孫を名乗っていた時代もあるが、古代の兵役舎人だった人が名乗ったんだろうってことで、舎人氏の武将系子孫は尾張藩に使え足立区舎人の舎人の菩提寺に戦後ルーツを求めて訪れたことがあると住職夫人に伺ったことがある。
足立区舎人に残った舎人さんは農家になった。
戦時中のエピソードで舎人さんは家紋を菊にしていたので憲兵に咎められた云々も古老に聞いたことがあるが、証拠はない。