熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

夫、モンパルの日々と近隣の坂 ワクチンの予約がとれた

我が家は上野の山のほぼ天辺で生活圏は坂に囲まれている。
夫、登坂10度までのシニアカーのモンパル生活になったので彼があれこれ調べていたらありがたいサイトがあった。

「無意味つづり」
https://www.ne.jp/asahi/mim/tdr/index.htm

三浦坂9度から10度
あかぢ坂5度
三段坂5度
三崎坂4度
善光寺坂4度

大名時計の横の三浦坂でも大丈夫かもな。
涼しい時にテスト走行してみよう。
夫のシルバーカーの正式名称はホンダのモンパルML200の中古。
既に製造中止になっているがホンダなら部品が入るので購入した。
モンパルはフランス語で「私の友達」らしいが、義父たちが戦前に憧れたパリのモンパルナスはどういう意味なんだろう。
モンマルトルも。

夫は介助ができる車椅子も併用して暮らしていくことになる。一緒にがんばろう。


夫と私のワクチンの予約がとれた。
1回目が今週、2回目が8月。
10月に岩手県で熊谷登久平生誕120周年展があるかもなので、その時には免疫を持って出かけられる。
準備に通うのには間に合わないか。

去年からコロナ禍で資料室などが気楽に使えなくなり、私は紙資料と聞き取りで調査をするスタイルで長くやってきたので、かなり凹んだ。
4月に過去の調査について盗んだと偉い人から怒鳴り込みがあった時は身に覚えがないので死にたかった。今も調べることのオリジナリティについて悩んでいる。
熊谷登久平の画家たちの時代調査は多くの人がやっている。
私は知らないことだらけなので怖い。
けど、好きな画家なので、次男の嫁だからできることはしておきたい。





https://www.ne.jp/asahi/mim/tdr/saka/tokyo/tokyo23_taito_arakawa.htm#2.3

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ふるさとこいし 熊谷登久平生誕120年

熊谷登久平は東京の利便性を愛しつつ、描くのは自然豊かな土地。
また、春を愛して多く描き残している。
東北の雪が溶けて春にを迎えるときの喜びを文章に残している。
末期癌の病床で自分の絵を求めたそうだが、残念ながら幼かった夫はそれがどの絵なのか覚えていない。
お弟子さんが親戚が届けた潮来の絵のことを書き残しておられるが、それは多分今年池之端画廊さんで展示した水彩画だと思われる。

私と夫は義父の故郷、岩手県で熊谷登久平生誕120年展をやれたらと願い。模索をしていた。
一昨年に千厩の本家にお伺いをして熊谷家に嫁に入りましたと挨拶をして資料少しガサガサした。
去年の登久平が養子に欲しがっていた甥で前当主の英三さんの13回忌に参列をして、きちんと一族に挨拶をしてふるさとで120周年展やりたいとスジ通すつもりだったのがコロナ禍で計画が厳しくなった。
ありがたいことに上野の山の池之端画廊さんで熊谷登久平展ができたが、岩手はもうダメだろうと生誕130年まで私たちは生きているだろうかと夫と嘆いていた。

それが、もしかしたら義父の故郷の千厩でやれるかも知れないとの話がきた。

二科展入選作は義父の血縁が持っておられる。
また義父の遺作展で代表作として画家仲間が選んだ作品は義父のファンが持っておられる。
できるなら戦時中に戦争画逃れで描いた鹿島神宮香取神宮を並べて義父なりの抵抗も知ってもらいたい。
とか願っている。

コロナ禍は年内に終わらないだろう。
なので、私は行けないかも知れないが、義父のふるさとの人に観ていただけたら。

とか夢見る。

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金子隆一さんのお葬式

橘雅友会が演奏する雅楽の音色に送られて出棺された。

夫は体調不良だったので留守番をさせた。
お向かいなので法華経雅楽も送る言葉も聞こえるのだから寝たまま心で隆一さんにいのれば届くよと無責任なことを私は言った。

帰宅すると夫は霊柩車の出棺のクラクションの音が聞こえたと涙目だった。

棺の中で花に包まれて眠っておられた隆一さんの話をした。
夫は自分も参列したかったと泣く。


夫の心臓にサルコイドーシスがなければ車椅子押して一緒に参列したけれど、体調が悪いし長時間座っているのが大変になった彼を連れ出す勇気は私にはなかった。

夫は隆一さんと父との思い出話せて嬉しかったそうだ。憧れの近所のお兄さんだったのだろうな。カッコいいし。

台湾では大きく訃報が出ている。

『日本攝影史研究者金子隆一逝世
著名日本攝影史研究者、策展人暨攝影書收藏家金子隆一(Kaneko Ryuichi)於6月30日逝世,享年73歲。

金子隆一1948年生於日本東京,1972年畢業於立正大學文學部。他自1970年代中起開始收藏攝影書、雜誌與展冊等資料,逐漸累積出逾二十萬冊的龐大個人收藏,是日本攝影研究的重要資源,也使他成為國際知名的日本攝影文獻收藏家。』





https://vopmagazine.com/k-r/


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金子隆一さんの通夜

我家のお向かいの御住職の金子隆一さんは雅楽を愛し近隣の方々と雅楽の会、橘雅友会を作り、毎週一回練習回をやっておられたので、町内は夜になるとアチコチから和楽器の音が聞こえ、週一の練習会の時は合奏を楽しめた。

本当に趣味人だったのだなあと通夜で金子さんの雅楽仲間の演奏を聴きながら故人を偲んだ。
何事にも没頭する人だったと夫はいう。
卒塔婆の文字も直筆で書いておられて達筆だった。

今日の谷中は小雨で夫は車椅子なので参列を見送ったが、店のガラス戸の内側からずっと眺めていた。

受付には町内会役員の夫の友人たちが座っていた。
挨拶をしたのは町内会会長で金子さんの隣の寺の御住職の金森さん。金森さんより若い夫の幼馴染の本妙院(我家の隣)の元住職のヨウちゃんや、正行院の隆一さんが先に亡くなり、夫とかつての森繁久彌さんのようだと話した。

通夜の最中にパトカーがきた。
通夜に集まった車が駐車所に入りきらず数台が中に人を残して待機していた「通報があったので」とお巡りさん。
うちの前の広い道は元々門前で私道だったのを、前の東京オリンピックの時に都に寄贈した場所だと聞く。我家の持ち分もあった。

複雑な気分で雨の中車を移動させる人たちを見る。

私の焼香の時に目の前にいたのは夫の同級生の寺ちゃん。金子隆一さんの正行院のお隣の射仙院の御住職。

夫、参列したがっていたのを雨に濡れて状態悪化したらヤダととめたのは可哀想だったかもと思いながら通夜会場の向かいの我家に帰宅したら、夫、私が通夜に向かった時のまま店のガラス戸ごしに待っていた。



金子隆一さんは生涯現役、趣味も仕事も家業も現役のまま亡くなられたのは夫曰く、夢だと。



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恐れ入谷の鬼子母神って地口があるが、朝顔市

今年も入谷の鬼子母神朝顔市は中止。
朝顔市は娘と母が大好きでたまに出かけた。

なんというか、入谷の鬼子母神には朝顔市の時しか入ったことがなく、その朝顔市の中日の七夕で人並みのない鶯谷から入谷界隈。

人がいないので御住職と少し話ができた。
朝顔市の朝顔は3月に種を蒔き市に開花するよう手入れをして育てるとか。
去年、今年と育てた朝顔の鉢が市で売れない。気の毒すぎる。

一昨年、五輪テストイベントで暑さ対策に朝顔の鉢植えが並べられていた。
去年五輪が開催されていたら朝顔が並んだのだろうか。今年の五輪会場に並ぶのだろうか。


入谷の鬼子母神から台東区の保健所に行き書類をもらい、銀座線の踏切で出待ちをした。
地上を走る地下鉄を観賞後、松坂屋で夫が好きな崎陽軒のシウマイを購入。
不忍池で蓮を見て上野公園を抜けて帰宅。

鶯谷、入谷、上野、上野広小路と閉じた店が増えていた。

https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2019/07/25/kiji/20190725s00048000423000c.html?amp=1&__twitter_impression=true

朝顔市の生産者さんの東京新聞の記事。記者は浅草雷門の下町支局の井上さん。

https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/113389


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夫、シニアカーを注文した

私と娘に車椅子を押されることを苦にしていた夫、とうとう時速6キロ走行の「ハンドル型電動車椅子」を予約した。
私と娘は「ジョイスティック型電動車椅子」が介護しやすいから勧めてだけど、本人は1人で動きやすい四輪車が欲しかったそうだ。

介護保険の認定まで待って欲しかったけど、受付面談などは終わっているがコロナ禍で認定が遅れてて、夫は待てなかったようだ。

登坂に強いと言われているものを選んでいるけど、急坂である三浦坂登れるのだろうか。
くだりのブレーキは大丈夫だろうか。

ジョイスティック型電動車椅子」なら付き添いやすいのに。

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