熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

命日 熱海の思い出とか

彼女の命日だ。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA%E6%8A%84

眠れない。

あの暑い夏、私が彼女が亡くなってからトイレで倒れた状態で見つかった。頭からは流血していたそうだ。

搬送先で数日危篤だった時にそれを知った共通の友人が彼女に「明子さんを連れて行かないで」と祈ったそうだ。

彼女が連れて行くとしたらアレだろうと後からそれを聞いた私は思ったよ。(個人の感想です)

私が倒れていたのは持病だわさ。倒れていたことへの記憶が全くないけど。目が覚めた時は入院中だったので驚いたわ。

管が入ってるから声も出なかった。

コロナ禍で病床逼迫していたので入院期間は短かく済んだ。

(作品にいろんな形で私を出していた、その中でひとつだけ不満なものもある)

長生きしてほしかった。

1997年にゲームメーカーの光栄の光栄出版編集部に一緒に打ち合わせに行き、その後、熱海のリゾートマンション「熱海パサニア」でワイワイした頃が愛おしい。皆んなでご飯作って飲んで騒ぎ、温泉でふやけた。億ションだったパサミヤ、今は分割経営となったとか。

エミール・ガレのガラス工芸作品を一緒に観た熱海のサンクリノ美術館も閉館した。良い美術館だったのになぁ。

熱海で同人合宿した時、私ら30代だった。

お互い大変なこともあったけど、夢も希望も持っていた。

 

 

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