バブル前に義兄の久が義母に義父ゆかりの熱海のリゾートホテルの会員権を買った。
今では古くなったリゾートピア熱海は全室オーシャンビュー、そこから眺める初島は義父が初島を描いた角度に近い。
義兄は年金をもらうようになったら熊谷登久平が描いた場所の特定などもすすめるつもりだったそうだが、義母の通夜で倒れ翌年亡くなった。
義母存命中に65歳からもらう予定にしていた年金を受け取る手続きをしていたが、61で亡くなった。義兄が義父が可愛がっていた本家の英三さんと何かやろうとしていたと夫は言うけれど。
義父が熱海で結核の静養をしていた場所は、義父の弟さんが書き残したものから推測すると「噏滊館(きゅうきかん)」、というか熱海市の学芸員さんからよ該当するのはそこだとご教示頂き、熱海市の資料も購読した。
義父が熱海で静養していた時のスケッチもいくつか我が家に残るが大正時代のものなのでガバっと開く勇気がなく、ちらりと見ただけ。ガバっと開く勇気が欲しい。
その頃、既に国鉄熱海線は開通している。
また船で熱海入りもあったようだけど、義父はどのルートで入ったのだろう。