熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

計画性なく、なりふり構わず

半世紀以上生きてるのに、なりふり構わずみっともない自覚はあるし、婚家に恥をかかすな、本家に迷惑をかけるな、的なこと言われることもあるの。

まぁ、礼儀知らずで、みっともないわな。見苦しいわな。母校の礼儀作法の先生が今の私を見たら嘆かれると思う。

 

自覚はある。

 

でも、漠然といつの日か王子様が熊谷登久平の絵を探していたときてくれるの待っていられる余裕はなくて。

なりふり構わず髪を振り乱して下品な売り込みをして教養なく「いい絵でしょう」とだけしか言えないおばあちゃん。

熊谷登久平は下手で中には良いものもある。

デッサン力がない。

とか言われながらも私は好きだからだけでやっている。

私は次男の嫁だから失敗したとしても「嫁が勝手にやった」で関係者は私を切り捨てられる、それは利点だと思う。

 

いつかは美術館でコーナーで良いから登久平をやってもらいたい。

みっともないとこれからも言われるだろうけど、死にたくなる時もあるけれど好きだからとしか言えない。

綺麗事だけでは何もすすまない。

 

 

去年、登久平生誕120年だった。

岩手県立美術館では登久平の旧制一関中学の同い年で同級生だった矢野文夫(矢野茫土)のコーナーがあったと聞いて私は羨ましかった。

 

 

その矢野文夫氏、一関市でも評価が高く一関博物館には多く収蔵されている。残念ながら熊谷登久平の作品はゼロだ。

登久平の作品の寄贈の話しは一時期進んでいたそうで義母と登久平の血縁が額装をし準備をしていたが話しがなくなり、何度も書いているが義母は泣いたという。

 

今でこそ、一関市に熊谷登久平の作品があるが、それは登久平の生まれ故郷の千厩が平成の合併で一関市になったため千厩が持っていた作品が一関市のものになったに過ぎない。

 

とか、言い返したくなることもある。

 

昨日もある人に失礼承知で愚痴ったけど義兄と義母には長い付き合いの親戚がいて、熊谷登久平の記憶もあった。

特に義兄が還暦すぐに亡くなられたのが残念だ。また本家の甥っ子も早世されて残念だ。

教えていただきたいこと相談したいこと、沢山ある。

私は次男の嫁で外様だ。

資料を探し回って、本が積まれているのは自慢ではなくて、図書館で済む調べ物ではないからで。

それをやってるアピールと。

 

 

 

んで、今は他の人がサクサクやっているということが出来てなくて、いっそ目を潰したい。

 

とか、ここしばらく鬱々している。

いいこともあるけど、嫌なこともあるので仕方ない。

 

 

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