熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷登久平と熱海と里見勝蔵への絵葉書

来週金曜日に岩手県に行くために受けたPCR検査、二種ともとても陰性。首都圏の県民割実質行政が都民は適用外とまるで病原菌来るな的な対応をしていた今年。私が本家に行くことで迷惑をかけてはいけないので、陰性でホッとしてる。

 

熊谷登久平と熱海。

中央大学卒業時期に岩手県の千厩の豪商の家業を継ぐために帰らない、自分は画業につくと宣言した熊谷徳兵衛(本名)は実家の父から勘当され、潤沢な仕送りを打ち切られた。

それでも絵を描きたい徳兵衛は慣れない労働をやり、結核になる。

その知らせで実家の母の生家や親戚たちが一斉に仕送りをしたが、その金額は父親が送っていたものに満たなかったと伝わる。

倒れた徳兵衛を献身的に介護したのは11歳上の美しい女性。

(その美しさと教養の高さに徳兵衛が惚れ込み文壇の人と取り合って勝ったとかの武勇伝もある、衣子と名乗った女性を徳兵衛の母は信頼し妻と認めていたとも伝わる。)

大正14年ごろ、あの北里柴三郎の北里研究所に入院し、その後熱海で静養して大正15年に帰京しそれまでの日本橋浜町から根津に越して藤の花の頃に長谷川利行と出会う。

 

 

昭和16年に刊行した『熊谷登久平 畫と文』には『熱海』という絵がある。

今月12日からの池之端画廊での里見勝蔵と三人の画家たち展に展示予定だ。

 

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熊谷登久平と熱海の里見勝蔵。

我が家に登久平が里見勝蔵に出した絵葉書がある。(ごめんなさい、どこかに埋もれてしまった)

ヤフオクで里見勝蔵と交流があった方の息子さんから購入した。(彼からは登久平が里見勝蔵に出した葉書などを複数購入させていただいています。里見勝蔵宛の荒井龍男の葉書も彼からでした。)

 

(でこの葉書をTwitterで読めないと嘆いていたら徳尾書店さんが読んでくださいました。)

https://twitter.com/tokuno_oshoten/status/1576090951864709121?s=46&t=X5KdduhmjZ-BhhR0X-o1Jg

十国峠にやって来ました。●はいりません 峠の上の工夫●●です。朝な夕な姿を変へる富士は伊達者です。熱海と箱根の中頃です。都を離れての山の日も中々味があります。奥様●●様によろしく。御健康を祈ります。』

 

富士山の姿の移り変わりを楽しんだようです。で、実はヤフオクで熊谷登久平が富士山の時間経緯を描いた三部作のうちの二作品が出て、誰かに落とされました。

大事にしてください。

お願いします。

 

今回の熱海の葉書で気になっているのは消印で、素直に見ると昭和29年になり、ヤフオクでは29年と説明文がついていました。

が、昭和9年11月29日もあり得るのではと。

切手が菊紋で戦前のものに感じるのです。

多分昭和9年11月29日の葉書で、記念スタンプの風景が登久平が描いた熱海の絵と近く、この熱海から箱根に行く自動車道路の休憩場所かどこかから描いたのではないだろうかと私は推測しております。

徳尾書店さんも迷われたようですが、昭和9年11月29日だろうということで、いいじゃん。

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熱海-箱根自動車道路で検索をしていたら熱海市のサイトに解説があった。

日本初の自動車有料道路だったとか。

最先端好きの義父らしいチョイスだ。また熱海も関東大震災で大きな被害を受けている。その復興もある。

https://www.city.atami.lg.jp/kosodate/shogaigakushu/1011165/1006016/1009091/1012230.html

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今日の谷中の空気は金木犀の香りがする。

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