夫のお母様は大正12年生まれだが、226の記憶があったという。
それは昭和37年生まれの私がテレビで観たプラハの春の終焉を記憶しているのと似ているのだろうか。
あれは何だったのかと思いつつ、小学生の頃に漫画で気がついた。
やはりテレビで観ていたがサイゴン陥落は漠然ではなく強烈に覚えているし、イラン革命後のイライラ戦争時は高校生だったのでとても覚えている。
上は夫が撮影。
「成功した研究者や画家ではない」の基準が厳しいなと。
以下私のiPhone12
今日本の洋画史に必ず出る高橋由一は晩年現在の荒川区東日暮里で亡くなられたんだよと、荒川区在住の洋画家と雑談してて、岡倉天心の日本すごいの慢心も罪だよな的な。天心は凄いけどね。
晩年不遇だった高橋由一は跡取りの息子さんの画家としての今後を心配しながら亡くなられ、画家として才に恵まれていた娘さんたちの作品も行方不明に。晩年もほぼ分からず。
また息子さんの奥様は関東大震災の翌年、被災者住宅で亡くなられたらしい。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%94%B1%E4%B8%80
高橋由一の再評価は戦後に神奈川県の近代美術館の土方定一氏によってなされている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%96%B9%E5%AE%9A%E4%B8%80
(土方定一氏は私が気になっている(遠縁の)石塚多喜治氏の後輩であったりする。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%A1%9A%E5%A4%AA%E5%96%9C%E6%B2%BB )
洋画家さんは高橋由一を勿論知っておられるが、東日暮里が終焉の地とはご存じなかった。
で、文京区台東区荒川区に美術の学芸員がいないことを嘆いたりした。
足立区には今はいる。
この辺りは物凄いのに。( ; ; )