熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

美しいのもは良いのだが、中学時代に美学ノートを晒されたことがある。松方コレクションは美しいと俗物と開き直り騒いでみる。


友人と松方コレクション展に行き、ナチスに持って行かれたと言われていて、数年前にドイツで発見された作品群の日本初公開とか、「忘れていたけどこんなん有りました」な敢えて修復しないルーブル美術館の倉庫で眠っていてボロボロになっていたモネのハス。
戦前日本に来てて、展覧会も開かれた作品だけど、時代の波にもまれて松方氏の手から離れた作品群など、一気に観れる豪華な展示でした。

友人は東京生まれなので、しかも23区だから中学時代の宿題で「西洋美術館に行って感想を書く」なんて羨ましい思春期を過ごしている。
私は美術室にあった図録で西洋美術館への憧れを抱いていたし、百科事典の美術の巻でひたすら観ていた世界。
上京したらまず上野の山に来たし、ロダンの地獄門を観た時の感動。
ごめんなさい永井豪先生の作品を思い浮かべました。
松方コレクションは神戸の川崎造船の社長の松方幸次郎氏が、日本の洋画を学んでいる若者たちに本物の絵を見せてあげようと収集し美術館を建てる予定だったとか、神戸では教えられたんだけど、諸説あるのね。
神戸の須磨にお住まいだったと先生教えてくれたやん。
最後は鎌倉とは教えてくれへんかったやん。

あと松方氏に協力したのは犬山城主の成瀬さまのご子孫でパリー留学中の成瀬正一さまだと母に教わっていたけど、まあ、成瀬さまの血を引くお方だけど、ちゃうやんお母さん。

間違ってないけど、ちゃうでお母さん。

松方氏が海軍のスパイだった説とか、協力者に海軍大尉がいたとかは同人仲間と騒いだわ。


ありがたいことに、私に油絵を教えてくれた田中祐一先生や義父たちが画学生のころに観た戦前日本に来ていた松方コレクションも今回は観ることができた。
それらは松方氏の協力者でもあった神戸の鈴木商店が打ち壊しされて潰れたころに借金の返済のために売られて分散していた。
その前にも上野で公開されていたけど、松方氏が手放すために展示され、つまり売り物として展示された時も義父たちは観ている。
義父が書いていたのか他の人だったのか、ロダンの接吻の下半身に布がかけられて展示されていたとかを読んだことがある。
今回はすっぽんぽんで公開されてました。

若い洋画家志望者たちが熱狂的に鑑賞したコレクション。
戦前はフランス旅行をするか留学するかしなければ見られない本場の色彩。タッチ。オリジナル額縁と作品との一体感。
義父は白黒の西洋画集を宝箱に入れていたけど、一気にフルカラーの本物をダダーンと観れて幸せだったろうな。
母も私に本物を観ないとダメだと言っていたけど、それは女子美に行く予定だったお姉さんの影響だろうか。


今回の松方コレクション展は1920年代に日本で公開されたものも多くて、1930年代の洋画家たちが影響を受けたのがよくわかる作品群で、義父や先生や長谷川利行が憧れたであろうものが溢れていた。
色使いとか影響受けているよね。
暗い時代が圧縮されて近づいていた時代に、洋画画壇が一斉に花開いたのは松方コレクションのおかげもあると私は思っている。

あとゴッホの作品が好きというと、俗物扱いをされることが多かったんだけど、バラは本当に好き。
西洋美術館にあるから見る機会は何度でもあるし、観てきたけど、本当に綺麗。
精神病棟に入院していた時の庭に咲いていたバラだとしても美しいし、狂気なんか感じられない。
バラよバラよ。

ムンクの吸血鬼も何回見ても好き。
美しいよ。
私は俗物で結構。
好きなものは好きだし、ムンクのことを戦前に研究していた東大の人もすごいと思う。きっと本郷台時代に松方コレクションを観ている。
しかも美術雑誌にムンクの研究で連載を持っていたのも凄い早熟な才能だったと思うけど、また名誉毀損だの訴えるなど言われるのはゴメンなのでこれ以上は触らない。



今回は戦争画が一箇所にまとめられて展示されていたのも良かったわ。



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%96%B9%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3