熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

一応書く。熊谷登久平はイケメンでモテて自分が美形だと知ってポーズを取れるぐらいのリア充で、太めではありませんでした。

ざらしの詩に熊谷登久平が太めと書かれていますが、多分参考にされたのは戦後の写真で、元はスラリとした美男子で結構モテまくりでした。

義父は岩手県の豪商の御曹司で、実家にはペリーから贈られた肖像写真が残り、集合写真を見ても背が高く、当時としては高学歴の旧制大学出で、勘当されて貧乏で苦労したと語るのは結構自分基準。
新聞にも坊ちゃんと書かれていたり、入選した時も金持ちの御曹司であることへの皮肉的な朝日新聞の記事が残っています。

実父に勘当されてても、叔父や実母からも仕送りがあり、年下の叔父への仕送りを有効利用していたり、実母の実家からも仕送りがあったとかな環境。
本人は車夫や似顔絵描きや保険販売員や組合運動をしたとか言ってますが、それ多分短期間。

あと、太ってない。

パリでもモテたという逸話があり、ドイツ人と間違えられたとかの逸話もある、私的にはチートな環境にあったと思えるのが熊谷登久平です。
好みです。

金持ちのボンボンとはいえ物凄く絵の勉強をしていますし、金がないときは何かの木箱の板や包紙の裏にも絵を描いていますが、戦前の舶来物しか絵具がなかった時代に油絵をかけば金はかかります。

安い色で描いた作品も残っていますけど、入選作品は安い色ではないと思う。

二科展入選作品は気仙沼の裕福な親友宅で描いてるし、援助する人も多かったようです。

長谷川利行さんの絵も言われるほど貧乏な絵だと感じないのは私が新聞配達をしながら絵を学んだ貧乏人だったからかしら。

義父は熊本でも裕福な友人宅に長期間泊まり込み、桜島や九州の絵を書き残していたりする。

私もやらかしましたが、東京には全国から学生が集まるので、若い頃は全国に泊まれる家があったりしました。
まあ、写真の専属契約もあったとの不思議な記録もあるのですが、それは裏が取れてないので曖昧です。
でも私的には色男です。