熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

熊谷登久平の古代ローマのインク壺 メモ


戦前義父が二科展に気仙沼を描き、観光客が来るようになったことの御礼で頂いた古代ローマのインク壺。

義父が貸した作家の作品で存在が知れた。


それが載った新聞記事を読んだ気仙沼の第三者が「気仙沼の宝が外にあるのはけしからん」的に作家宅に抗議。
作家は留守で、その妻が慌てて抗議者に壺を送る。
抗議した気仙沼の第三者が自分で所有。
戦後暫くして元贈り主の本家の人と知り合った第三者がその人に渡す正義感をした。

つまり贈主と義父は気仙沼に返ったのを知らず…

義父は貸した作家の林房雄氏が『壮年』を書き終えたら返ってくると思っていたかも知れないが、『壮年』は未完。
林房雄氏に問い合わせたとしても戦時中の昭和17年頃に気仙沼に返却したと言われたかもしれない。元々義父宅に飾られていた壺を見て『壮年』を思いつき、これを見ながら書きたいと持ち帰ったものであったが、壺持って義父の隣から鎌倉に移転した林房雄氏。(T ^ T)

古代ローマの壺の熊谷登久平への来歴。
気仙沼の大火のあと、義父が美しい気仙沼の大島を描いて二科展に入選。
当時、二科展入選は大きな出来事で新聞記事に気仙沼の絵が何度も出た。
大火後の気仙沼に観光バスが来始めて賑わいが戻ってきた。
その感謝で、家宝を大気新聞社長の佐藤文雄さんが義父にくれたんですけどね。

佐藤さんや義父が知らないうちに、戦後暫く経ってから佐藤さんの本家のモノになっていたらしく、大気新聞社長、気仙沼の議員の佐藤文雄さんが晩年に描いた回顧録では壺の行方は林房雄さん止まりになっている。

インク壺、いつかは観たいと願う。

戻ってこなくても良いから公開して欲しいし、調査入れて欲しい感じかな。

今の持ち主に行く前のエピソードを読むと熊谷登久平という画家が持っていて、それを隣に住む林房雄が借りてって感じ。
熊谷登久平が偶然持っていたように書かれているのは残念だし、美しい壺が忘れられているのも残念。


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