熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

コロナワクチン6回目の接種予約 近隣の病院

喘息、他、面倒な持病がある私。

なのでコロナワクチンの接種券6回目のが初夏に届いていたけど、それは流行り出していた今のコロナに対応していなくて、私は対応したワクチンを打ちたく秋まで待った。
前にも愚痴ったかもだけど、今年度の台東区のコロナワクチン会場は山手線の外側の病院だけになっていて我が家からは不便。

近い?台東病院、永寿病院、どちらも谷中から1時間に1本のバスでしか行けない。
しかも予約が埋まってて今月来月はとれない。
コロナのワクチン、5回接種してるけど、交流界隈で罹った話しを今までにない頻度で聞く今日この頃、免疫がアホな私は不安です。

 

で、台東病院だけど、古い人は吉原病院と呼ぶ。例えば浅草生まれの義母は吉原病院と言っていたそうだ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%AB%8B%E5%8F%B0%E6%9D%B1%E7%97%85%E9%99%A2

以下Wikiから引用。

『東京都立吉原病院は警視庁病院を母体とする性病専門の病院であった。後に東京都立台東産院と合併する。

1911年2月1日、娼妓の治療をなすため、警視庁が吉原遊廓ほか5カ所[1] に警視庁病院を設けたのが始まりである。これは明治43年勅令第310号「風俗上取締を要する稼業を為す者及行政執行法第3条の患者の治療施設に関する件」に根拠を有するもので、警視庁は「警視庁病院設置の件」を公布した。1942年に東京府に経営移管。

娼妓取締規則(明治33年10月内務省令第44号)の廃止により、戦後は性病予防法第16条に基づく性病病院として残る』

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それが、都立台東病院となり、廃止も検討されたが今は区立台東病院となっている。で、存続の危機もあるようだ。

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夫が盲腸の手術をしたのは鶯谷駅の近くの下谷病院。(日本私立学校振興・共済事業団下谷病院)。

ライト風とも呼ばれた立派な建物だったが、1986年の消防法改正と、施設の老朽化やらしがらみやらで2001年度をもって閉院。

その時のことは結構新聞で記事になったので記憶に残っている。

夫の入院経験を、「あそこに泊まれたんだ」と羨ましがったら「お化けが出そうな雰囲気だった」とのこと。

それでも、私は夫があの重厚な建物で手術したのが羨ましい。

翌年度に誘致した江戸川区東京臨海病院ができた。江戸川区は土地が増え続けてたし。台東区には土地の余裕がないし。

ライト風建造物とも呼ばれていた立派な建物、今はない。

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E8%B0%B7%E7%97%85%E9%99%A2

 

夫が幼い頃は近所に入院施設がある浜野病院があり、(カヤバ珈琲の向かいね)身体の弱い義兄はそこに入院をしていたとか。ここは「隣のトトロ」のお母さんが入院していた病院に似た建物だったと夫。

 

 

あと、大正天皇の主治医がいたという噂もある土田病院は今も上野の山に残る。流石に建物は建て替えられている。

 

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