「2025年はフォーヴが生まれて120年目です。」
と、画家による装丁を調べておられる「かわじもとたか」さんからメールがきた。
昨日、マティス展でかなり興奮したが、2年後で120年なんだ的な。
1905年のサロン・ドートンヌの第VII 展示室に並んだ作品を見た美術批評家ルイ・ヴォークセルが呆れ返って「こいつら文化人じゃなくて野獣じゃん」的に評したことから発祥だからそうなるよね。
マティス展1905年の解説
『1905年
ふたたび南仏に赴いてコリウールを逗留先として選ぶ。 コリウールは1914年まで繰り返し訪れることになる。 1905年夏にドランがあとから加わり、両名は新たな方向性を目指して制作。
パリに戻ったマティスとドランはカモワン、 フリエス、 マンギャン、 マルケ、 プュイ、 ルオー、ヴラマンクらとともにサロン・ドートンヌに参加。
彼らの作品が並んだ第VII 展示室は美術界の一大事ともいうべきものとなり、 美術批評家ルイ・ヴォークセルは同展示室を 「フォーヴ (野獣) の檻」と形容、そこから 「フォーヴィスム (野獣派) 」 という呼称が生まれる。
出品作、妻の肖像 《帽子の女》(サンフランシスコ近代美術館)はサロン最終日に米国の作家・コレクター、ガートルード・スタインが購入する。
これを機に、 マティス作品のコレクターの輪は広がっていき、ガートルードの兄リオ・スタイン、 その弟夫婦サラとマイケル、さらにマルセル・サンバ、ギュスターヴ・フェイエ、 まもなくロシア人セルゲイ・シューキンが加わることになる。』
以下Wikiの解説。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0
「1905年、パリで開催された展覧会サロン・ドートンヌに出品された一群の作品の、原色を多用した強烈な色彩と、激しいタッチを見た批評家ルイ・ボークセル(仏: Louis Vauxcelles、英: Louis Vauxcelles)が「あたかも野獣(フォーヴ、fauves)の檻の中にいるようだ」と評したことから命名された。」
このフォーヴは批判的な意味で使われた言葉で、文明的ではない、理性的ではないみたいな。
それが野獣的な若者たちに受けた。
熊谷登久平の初期のフォーヴ、フォービズム、野獣派な代表作品となっている千厩警察署は現在岩手県立美術館に収蔵されている、それは時の館長であった原田光さんと千厩警察署の署長さんのおかげだと聞く。
博物館のプレートによると描かれたのが昭和2年。
元からついていた額は、上野桜木の佛雲堂のもの。額縁の金属プレートには筆記体のT・KUMAGAI。
このTは登久平なのか、徳兵衛なのか。
1927年だと徳兵衛の可能性が高い。
が、千厩警察署に寄贈されたのが何年かで変わる。額装は今は剥げているが金箔貼り。1927年の徳兵衛には経済的に無理だろう。二科展入選以降に寄贈されたと推測しちゃう。
いつ千厩警察署に寄贈されたのだろう。と、ずっと気にしている。
国会図書館オンラインで調べていて、この作品についての記載が垣間見える冊子があり、そこには徳兵衛とある。
残念ながら全文が読めない資料で、国会図書館に行かないとなぁと。