熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

退院してから一年経った 舎人団地(正式名称 舎人町アパート)建て替えだって

 

去年夏の暑い日、私トイレで倒れてて頭からは流血していたそうだ。

発見が遅れたうえに流血していたので警察沙汰になり家人は結構大変だった聞いている。

 

私は危険な状態だったそうだが救急搬送された日医大の集中治療室で助かり部屋を移動しながら去年の今日退院した。

コロナ禍でベッドが足りてない今年なら助からなかっただろう。

心配されていた麻痺もない。

頭からの流血はタンコブもできてきて退院してからも暫く膨れていた。

どうやって倒れたのかも記憶がない。

トイレが少し広いから思いっきり倒れたんだろうな。と。

 

以前住んでいた低所得者向けの都営団地の狭いトイレなら倒れるの無理なので倒れても頭は打たないだろう。

その都営住宅は埼玉との県境にある舎人団地は正式名称『都営舎人町アパート』で、私が住んだ頃は旧町名で足立区舎人町2122だった。

今は足立区舎人6丁目になっている。

住んだのは昭和の終わりで、森と泉と田んぼとスーパーライフと商店街に公設市場にヤマザキなどの店、入谷スーパー的な肉屋と酒屋と八百屋の並びがある、日常生活には不自由しないのんびりした団地だった。

私は森と田畑と泉に惹かれて、多少不便でもここで育児をしたいと舎人を選んだ。

で、息子を授かった頃から急激な土地開発が入り田圃は消えていき、森はなくなり、泉も埋立てられて新興住宅地と化した。

それでも鎮守の森や農家のママ友宅の広い敷地などが残っていたが、今はどんどんミニコやマンションが建っている。

で、住んでいた舎人団地も今度建て替えになる。来年に私が住んでいた最後の棟が最初になくなる。

 

結婚して、母親と弟を呼び寄せ、子を産み育て、文章で賞を取り、内外のテレビに出たり色々あった。

他の棟に住んでいた母親が若年性アルツハイマーになり、見守りが必要になり仕事部屋は母宅にあったので寝泊まりするようになり、夫とは別居になり、離婚になった。

思春期の2人の子と同じ団地内の母宅に住んだが都営住宅の規定であくまで臨時の住人扱いとなり、定期的に転出の期限更新をしないとダメだった。

ボケている母を転居されられないので母の家に通いやすい同じ団地に数年応募しつづけて受かったのが元夫が新しい奥さんと住んでいる、私の元旧宅の斜向かいだった。

なので洗濯物を干しているときに元夫がいたりすると威嚇をされたり、色々あった。

 

母は死に、母が住んでいた部屋を引き払い。

喪失感で疲れていくのを同じ棟に住んでいたママ友2人が見守ってくれていて、助けられていた。

彼女たちとは今も交流し、行き来もしていた。

 

舎人団地が、舎人町アパートが建て替えになると、旧町名の舎人町は消えるのかしら、バス停などに使われている舎人団地が正式名称になるのかな。

 

人生の中で一番暮らした土地が舎人団地だ。嫌なことも沢山あったが、良い思い出も沢山ある。

ので、寂しさもある。

です。

 

写真は昔私も参加していた舎人団地の広報。

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