熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター

台東区谷中の洋画家熊谷登久平のアトリエ跡に住む次男に嫁いだ主婦の雑談

独立美術協会のサイトに熊谷登久平生誕120年展の情報が掲載されました。 登久平と同い年の小熊秀雄の

独立美術協会のサイト、物故会員、義父の熊谷登久平の個展の情報が掲載されています。

ありがたや。

http://www.dokuritsuten.com/info_ko/index.html

 

 

義父と同じ1901年生まれ、池袋モンパルナスという言葉を最初に使ったと言われている画家で詩人、漫画原作者小熊秀雄の墓は都立多摩霊園にあるが、その墓地に関係者に連絡がとれなくなった連絡立板がたっているとTwitterで情報発信されている。

https://twitter.com/naovalis/status/1575122350307127298?s=46&t=juBT0fbHFkFbqfG2AkSYeg

生まれ故郷の旭川市では今でも小熊秀雄賞の公募があるし、豊島区では池袋モンパルナス関連のイベントや展示が毎年ある。

日本のSF漫画の先駆的傑作『火星探険』(大城のぼる作画)の原作者の旭太郎である小熊秀雄の墓。

その小熊秀雄の墓が無縁さまとして撤去される可能性があるかもなのは、諸行無常

なんとかならないだろうか。

公共墓地の管理規則は厳しいと聞いたことがあるが、モンパルナス関連の方たちに連絡だけはしてみる。

連絡をしたところ、そちらからある方に連絡が行き、数年前にも板が立ったとのことで、また対応してくださるとのこと。

都営墓地は規則に縛られておりその規則の中で対応を続けておられるようだ。

 

 

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舎人団地の13号棟の解体が進んでいる。

次は私が住んでいた12号棟になる。

 

最初は舎人団地の7号棟に新婚で住んで、故郷の母を呼び寄せ母は14号棟に入り、そこから8歳下の弟は結婚して出ていき。

母の異常な行動が始まり見守りが必要になり、母宅に私は泊まり込むようになり、仕事を減らし、夫と介護離婚になり、14号棟に住所を移したが都営住宅の規則で定期的に間借り更新が必要で、また母が死んだら明け渡す確認と捺印も毎度あり、精神的に参って都営住宅に申し込んでは落ちるを繰り返し、数年後に入れたのが12号棟だった。

精神的にまいっている時に入った号棟で煩い住人とのトラブルもあったが、ママ友が2人同じ棟であったので彼女らに随分助けられた。

また母に何かあっても退去しなくてもいい住処があるのも助かった。

斜向かいの棟に元夫が住んでいたのでトラブルもあったが、人間衣食住が足りるのは幸せだと思う。

そのささやかな幸せがあった12号棟、辛いことも沢山あったが収入で家賃が変動する都営住宅に住めてなければ親子三代どう生きたか想像できない。

 

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